君はもういないのに。

◆先日、高松市の書店で『フジモトマサル傑作集』を購入した。◆フジモトマサル氏は1968年生まれの漫画家だ。93年からフリーのイラストレーターとして活動を開始、94年に回文をテーマにした『キネマへまねき』で作家としてデビューを果たしている。一般的には挿絵が知られており、穂村弘『にょっ記』、ブルボン小林『ゲームホニャララ』、森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』、村上春樹『村上さんのところ』などの作品で装画を担当している。2015年、慢性骨髄性白血病のため、46歳の若さで亡くなっている。◆既に亡くなっている人の本を読むのは初めてのことではない。江戸川乱歩の小説も、手塚治虫のマンガも、それらを読んだときには既に筆者はこの世にいなかった。真心ブラザーズがいうところの「僕があなたを知ったときはブルース・リーと同じように、この世にあなたはいませんでしたね」という状態だ。フジモト氏にしたって同じことがいえるはずだ。◆それでも本書のページをめくるたびに、なんだか哀しい気持ちがこみあげてくる。その理由はきっと、作品の中に、作者であるフジモト氏の人となりが、色濃く込められているためだろう。◆本書に登場する人たち(といっても、彼らの多くは動物の姿をしているのだけれど)は、自らが「そうだ」と思ったこと、そのままに行動している。そこに嘘はない。誰かを騙そうとか、驚かそうとか、そういった悪意が介在しない。だからといって、良い人間を気取っているわけではない。ゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、線路の上に小銭を置いてぺちゃんこにしたり、ろくでもないことをやってみることもある。でも、それらの言動は、決して矛盾しない。何故なら、人間にしても、動物にしても、常に目論見を持って生きているわけではないからだ。だからといって、踏み越えてはならないラインは跨がない。その塩梅の良さに、生前のフジモト氏の人としての佇まいを感じるのだろう。◆もっとも、私がそのように感じたからといって、実際のフジモト氏がそういう人間だったかどうかは分からない。私は彼のことなんて知りはしないし、これ以上、彼について知ろうとも思わないからだ。なので、実際のフジモト氏は、ひょっとしたら大酒飲みの暴れん坊で、仕事相手には優しいけれど家族には暴力を振るうような、とんでもない人だった可能性も捨てきれない。そんなことは分からない。分かりようがない。これから分かることもない。◆もし、フジモト氏が生きていたら、私自身に関心がなかったとしても、どこかでその本当の姿を知ることが出来たのかもしれない。それがもう起こり得ないことが、哀しい。「自分で調べればいいじゃないか」と思われるかもしれないが、そういうことではない。そういうことではないのだ。◆

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