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「FLIGHT RECORDER」&ムーンライダーズ、そして「ミュージック・ステディ」研究その3。

 1983年6月にはかしぶち哲郎さんfeaturing矢野顕子さん『リラのホテル』(ポニーキャニオン)が発売されましたが、その翌月7月21日には鈴木さえ子さん『毎日がクリスマスだったら』(RVC/Dear Heart)が発売されています。
このアルバムは当初さえ子さんと鈴木慶一さんのPSYCHO PERCHES(PSYCHO=さえ子さん、PERCHE=魚の鱸という意味があったとか)名義で発表するはずだったのが、慶一さんの契約の関係で鈴木さえ子さんのファースト・ソロ・アルバムとなってしまったわけです。

 そして、『毎日がクリスマスだったら』と同日、7月21日には慶一さんと松任谷由実さんプロデュースで、東京JAP『数秒ロマンス』(CBSソニー)が発売されています。
この頃はまだヴォーカルにオバリー佐藤さんが在籍していて、後の「摩天楼ブルース」でヴォーカルだった立川利明さんは主にギターを担当していました。
東京JAPは雑誌「サウンドール」でよく取り上げられていたので、ご存知の方が多いはずです。

・かしぶち哲郎さんと矢野顕子さんの対談、鈴木さえ子さんと鈴木慶一さんの対談&東京JAPのインタビューが掲載された「ミュージック・ステディ7号」(ステディ出版)。
画像をタップすると、1980年代の鈴木さえ子さんの活動について書かれたGO→ST通信電子版の記事に行くことができます。

・鈴木慶一さんの連載対談「K1の胸キュンシリーズ」に鈴木さえ子さん(更に立花ハジメさん)が登場した「バラエティ 1983年9月号」(角川書店)。
画像をタップするとGO→ST通信電子版の「K1の“胸キュン”シリーズ」の記事に行くことができます。

 このアルバムに参加したゲスト・プレイヤーはソプラノ・サックスに矢口博康さん、バイオリンに武川雅寛さんと美尾洋乃さんの3人だけでした。
それは当時最新鋭のサンプリング・キーボードのイミュレーターを導入したからです。ちなみにこのアルバムに入っているカエルやセミにキリギリスの鳴き声はイミュレーターによるものだそうですね(この辺は「ミュージック・ステディ7号」のインタビューより)。
このアルバムからは11月21日に「毎日がクリスマスだったら」(ちなみにカップリング曲は「フィラデルフィア」)でシングル・カットされます。
ジャケットの愛らしさと、カップリング曲の「フィラデルフィア」があまりに素晴らしいので、このシングルは人気盤です(某動画共有サイトで見た『緑の法則』コンサートでの東京マザーズによる「フィラデルフィア」の素晴らしさたるや!)。
11月21日には慶一さんプロデュース(作曲&編曲も担当)のクリスさん「クリスの日曜日」も発売されてますね。「バラエティ1984年2月号」によると「1983年に書いたシングルの曲では一番好きな曲」だったとか。

 そのさえ子さんのシングル「毎日がクリスマスだったら」に続いて、11月25日に発表されたのが名オムニバスの誉れ高い『陽気な若き水族館員たち』(徳間ジャパン)です。

更にその直後、11月28日にはこれまた名オムニバスの『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』(アルファ・レコード)が発表され、ムーンライダーズは「銀紙の星飾り」で参加してます。
これまた人気曲ではありますが、オムニバス収録曲ということで、クリスマスの時期のライヴでも演奏されていないはず(違ったらすみません)。
このアルバム、他には大貫妙子さん、伊藤銀次さん、高橋幸宏さん、越美晴さん達が参加しています(それと、ピエール・バルーの曲にはかしぶちさんがドラムスで参加しています)。
 「ミュージック・ステディ1983年11月号」(ステディ出版)では、大貫妙子さん、杉真理さん、伊藤銀次さんという顔ぶれでの鼎談が掲載され、数年前に出版された大貫さんのアンソロジー(「大貫妙子デビュー40周年記念本」~河出書房新社)に再録されています。

・「ミュージック・ステディ 1983年12・1月合併号」(ステディ出版)。『陽気な若き水族館員たち』の参加バンド&プロデューサーの鈴木慶一さんインタビュー、大貫妙子さんと立花ハジメさんに鈴木さえ子さんの鼎談を掲載。

 これらのレコードや雑誌とか全部リアルタイムで購入していたのか。。と自分にちょっと呆れてしまいました。貯金や友達との交流とか全くなかったわけですね。

 そして『陽気な若き水族館員たち』に参加したミュージシャンは現在でも活躍している人が多いのですが、純粋にこのアルバムでの楽曲や演奏も素晴らしいものが多いことをここで強調しておきます。
「ミュージック・ステディ7号」の「ON THE ROAD AGAIN」(前記事で触れておりますので、よろしければ読んでやってください)が後々私に与えた影響の大きさを実感している今日この頃です。

 今、こうして資料として、「ミュージック・ステディ」を読み返すと、その先を見通す能力に唖然としてしまいます。売上げ以上にその先見性は改めて評価されるべきではないでしょうか。

 これらの少し前、11月5日にはZELDAのメンバー・チェンジして初めてのアルバム『カルナヴァル』(フィリップス)が発売されました。
プロデュースは白井良明さん。一説にはサイモン・ジェフス(ペンギン・カフェ・オーケストラ)や(レコーディング・エンジニアの)スティーブ・リリーホワイトにプロデュースを依頼するつもりだったけど、あまりにも現実味がないという判断で、白井さんしかいないとなったらしいです。
 白井さんのかけ声は「女ドアーズを目指そう」だったとか(「バラエティ1984年1月号」より)。
“女ドアーズ”はともかく、この選択は結果として大正解で、次のアルバム『空色帽子の日』(CBSソニー)のプロデュースも白井さんが担当することになるのですが、それはまだ先の話(1985年)。

 ・「バラエティ1984年1月号」(角川書店)。連載対談「K1の胸キュンシリーズ」にZELDAと白井良明さんが登場。

 それと、1983年にはヴァージンVS『羊ヶ丘デパートメントストア』が慶一さんプロデュースで録音されましたが、未発表に(1987年にアナログのみで発売され、後にCD化されました)。その中の数曲はアニメ「街角のメルヘン」に使用され、そのサントラ盤であり、ヴァージンVSのベスト盤的存在の『RADIO CITY FANTASY』に収録されました。

 とりあえず、1983年のムーンライダーズ本体は目立った活動はなかったのですが、それぞれが向かう方向が明らかになった年であります。私はそれらの作品を聴いて、よりムーンライダーズに夢中になったのであります。
Twitterに書きましたが、もしかしたら私が一番ムーンライダーズを熱心に聴いて、考えていたのは1983年だったのかもしれません。

 明日は1984年に入ってからのムーンライダーズ及びソロ活動、そして『アマチュア・アカデミー』や「ミュージック・ステディ」のムーンライダーズ徹底研究に触れることができたら、と考えてます。
関連アルバムも重要作なので、2回に分けてかもしれませんね。まだ書き出しどころか組み立ててもいないので未定です。

 明日、といっても日付変わると同時に更新というのは無理ですので、気長にお待ちください。

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ではまたー。

 


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