ガソスタの匂いなら好きだよ 俺ら分かり合えなきゃだめだったかな/藤井

うたの日無冠の短歌を紹介するシリーズ第98回

2022年11月07日 『 合 』の一首

「ガソスタの匂いなら好き」を共通点として読むか、相違点として読むかで解釈が変わってくると思うのですが、どちらでも同じように胸に来るものがあると思います。どう考えても先に何か会話があって、短歌としてはそこを描かないことを選んでいる。野暮かもしれませんが、すこし、この場面に至るシーンを想像してみます。

共通点だとすれば、「ガソスタの匂いが好き」の一点でしか分かりあえなかったのかなと思います。あるいは、それを挙げるしかないくらい、共通点の少ないふたりだったのか。繋ぎ止めるには、あまりに細い。
「趣味も合わない、好きな音楽も違う、わたしたち、なにも噛み合わないね」「でも、ガソスタの匂いが好きなのは同じだった」「そんな小さすぎる共通点。やっぱりわたしたち分かりあえないね」

相違点だとすると、もはや「好きな匂いがある」だけが共通点になってきます。
「わたしは晴れた日の洗濯物や、街中で漂ってくる金木犀の匂いが好き。あなたそういうの好きじゃないよね」「でも、ガソスタの匂いなら好きだよ」「やっぱりわたしたち分かりあえないね」

「なら」「分かり合えなきゃだめだったかな」をきちんと読み解くなら、どちらかといえば後者寄りかと思いますが、どうでしょう。

高得点ではなかった理由が分かりやすくて、初句いきなり現れる略語「ガソスタ」と、句割れの是非でしょう。評者はまったく気にならず、当時はハートを入れて評も書いたのですが、改めて分析するとそういうことなのかなと納得はできます。

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