【深夜テンション文章】若さが故のバーゲン!

高級なアフタヌーンティーというのはたくさんある。だいたい、ヒルトンのホテル、ホテルインターコンチネンタル辺りで、一葉様だけでは足りない感じである。そして、もっともっと高いところというのもあって、そろそろ諭吉様に手を伸ばすかくらいの、そんなところもあるのだ。

値段とは客層であろう。それはたしかにそうである。そういうアフタヌーンティーは、高級なひとときを過ごせるようになったいい大人、ここでは他意はなく本当に大人という意味であるが、彼らが愉しむことのできるものであるという論は、たしかにと言わざるを得ない。

しかしだ、考えてみると、大人になればなるほど、お菓子は代謝するのが大変になっていく。体が求める糖質が減っていくし、油脂もそんなに要らなくなってくるし、なんせ油脂とはただでさえ、若くとも、消化のめんどくさい代物である。それが消化吸収の力が落ちつつある大人が口にするとなるとなかなか大変なのは、身をもって知っている人もあるかもしれないし、話をよおく聞いている人もあるかもしれない。
アフタヌーンティーに行ったことがあればわかるだろうが、アフタヌーンティーで提供されるお菓子の量はかなりのものであることがほとんどだ。ましてや、あの三段重ねのアフタヌーンティーセットが登場しておきながらライブシェフによるビュッフェスタイルを楽しめるヒルトンのアフタヌーンティーにかんしては、もはやキャパオーバーもいいところである。

さて、アフタヌーンティーが大人には大変だという話だった。じゃあ、と、思うのだ。
どんなに高くても、アフタヌーンティーは若いうちに行った方がいいと。それに限らずお菓子系は全部そうなのだが、楽しむなら若いうちこそだと思うのだ。たぶんもっと歳を重ねたときと比べれば体重を気にしなくていいし、肌が荒れても持ち前の若さで(とりあえず、その体質のまま大人になっていった後よりは比較的)鎮静化しやすいわけだ。今しかないだろう!!

ということで、大学生、バイトをしてお金を貯めながらアフタヌーンティーに散財する生活を思いついた。年間どこに何回行きたいかをこれから計算して、バイトで稼ぐべき額を産出したい。

そうなると、あのなあ、学生というのはなあ、旅行するものなのだと、旅行するのは今しかないと、そういう話を持ち出す方もあるいはあるかもしれないが、そうな。そうだ。旅行だいすき。世界一周なんて、今しかできない。海外旅行も、体力があってエネルギッシュな今だけだな。うんうん。でもあの、円安だし、ご時世だし、なんか、気乗りしないので、ほかに若いうちにやりたいことをやろうとしている次第なのだ。もしこれが旅行したいという記事でも、主旨を同じくするだろう。

人生は目まぐるしい。時間は勝手に進んでしまう。幼いうちしかできないこと、青年期にしか感じられない感動、若いうちだけの代謝。
これらがあるうちに、人生で摂取したいだけの経験を摂取しなければならない。私は、ドヒマな、というのはドがつくほどヒマだという意味だが、小学生時代に、一生分3DSで遊んだ。もうそれはそれは遊んだ。おかげで今視力が0.2だが、何も後悔はない。現代は、メガネがあるぢゃあないか!いい時代だ。
それに、そんなに裸眼の視力が良くないと困る経験をこれからするかというと、そんな気はしないし。不測の事態でも、それはだいたいなんとかなる系のやつだと思う。
3DSをしている人生の時間は本当に良いものだった。人生というビンに、欲しいだけ3DSの時間を詰め込んだ。満足だ。充分だ。
3DSを満足いくまで詰め込めたのは、私が幼くて、ヒマで、ゲームの世界に没頭できたからだ。そういう良いタイミングに、その時に最高のコンディションでできる、人生のやりたいことを詰め終える。
私はつまるところ、そういう生き方がしたいのだ。

一生分の3DSのあとは、一生分のスマホゲームを詰め終えた。そして、受験を挟んで、大学生になり、一生分のアフタヌーンティーのほとんどをこの時期に詰め込んでおこうとしている。

アフタヌーンティーがあんなに高いのは、高級で特別なひとときを楽しみたい大人のために、パティシエが用意したすばらしいサービスであるからだとも思うのだ。
だけども、私は今この若いときでさえ、天丼を完食したらお腹がもたれて気持ち悪くなるくらいのひどい(?)胃の持ち主である。この先いいマダムになって、アフタヌーンティーを楽しめる気がしない。それに、マダムになったらマダムでしかできないことを詰め込むのに忙しくなってしまう。若いうちしかできないことを若いうちにやっておかないと、もう人生の残り時間で、ほかにそれを満足にできるタイミングは来ない。そう思う。もし、マダムになって尚楽しめる素敵なアフタヌーンティーがあったときは、それをビンに大事に詰めたいと思うけれど、そのことでマダムのその瞬間でしか楽しめないことに時間を割けないのでは悲しいから。
やれることをやれるうちに。である。

若いうちしかできないことがあるように、若いうちだとできないこともあることに気づいていく。だから、アフタヌーンティーとかスイーツビュッフェみたいなことは、今のうちにやっておかないとという気持ちであるのだ。

余談。私は小さい頃なんかとんでもなく狂愛していたお菓子があった。めちゃモテ委員長だったかがパッケージの、バニラ味のわたあめ菓子。あまりにも美味しくて、毎日スーパーに連れてってもらってそればかり買ってもらい母親に他のお菓子をよく勧められたものだ。
もうそのお菓子は見なくなってしまったが、今同じお菓子を食べても、きっとあの時のような感動は得られないのだ。あのときはといえば、多くの味覚を知らず、苦味や酸味への解像度が低く、甘味に対して敏感に反応する。甘味が純粋であればあるほど、幸せを感じる。そんな味覚をしていた。ここまで生きてしまっては、もうその無垢な味覚ではない。今の私は、苦味と甘みのハーモニーとか、酸味のきいた甘みとか、そうしたものを楽しむのに忙しい。甘党だからね、結局甘みが付随していてはほしいんだけれども。あのお菓子に出会ってその時、わたあめのくれる幸せを、美味しさを一生分享受したと言っていいと思う。

人生を楽しんでいきたい。今の時代に生きていて存在する、私がいいなと思うものを、ライフステージに合うときにいっぱい得てめいっぱい幸せになって、私は永遠にかえってゆきたい。
ラテン語の本に書いてあった。人は無限から来て有限を生き、無限に帰るのだと。


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