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年の瀬に


親友とよべる二人の友人と自宅でご飯を食べた際。
「2023年は、どんな年でしたか。」と、一人の友人が言うと、私と問われたもう一人の友人が、申し合わせたようにうーんと唸りながら腕を組んだ。

近年、年の瀬にくらうこの質問に、一度も適切に答えられた気がしない。

気持ちに任せて「大変だった!」と一言発すると、二人して「わかる」「そうだねえ」と深く相槌を打った。歳を重ねた分、相応に色んなことがきっとあって、中年期へ向けての試練のようなものが、次々やってくるようだった。

「でも、はじめの一言をネガティブに言ってしまうと、他の幸福な出来事や、幸福をくれた人を無視してしまうようで、それはまたしっくりこないんだ。」
 と親友の一人が言った。本当にそう。共感オブザイヤー受賞である。それが私たちに腕を組ませたのだ。

私は年の半分以上をデンマークで過ごした、少し特殊な年だった。長閑な異国での生活、様々なトラブル、帰国後の生活や環境のギャップ、家族のこと、これからのこと。思い返せば、大小さまざまな大変さがあった。それは例えると、低温火傷のようにじりじりと、決定打を持たない怪我のような痛みだった。

わざわざ30を過ぎた年齢で、異国に行って、その感想が大変だった、だと話した人の目が「可哀想に」という目に変わることがあったが、私は決して可哀想ではなかった。大変さの中でしか学べないことは多くあって、そのすべてが貴重な機会だった。それを多く学べたことは、人生の宝だと思っている。

「ときどき心がやられそうだったけど、ちゃんと元気でいる努力をして、笑ってすごせたこと、それが偉かったなとおもう。」
 と私がいうと、二人がうんうん、とうなずいた。
みんな大変さを抱えて、年の瀬にこうやって、様々な想いを持ち寄って、同じ労いの気持ちを互いに向けながら、同じものを食べていることが尊かった。明日から少しの間、親友が腕を奮ってつくってくれた料理が三人の血となり肉となり、(願わくは)心の活力となって生きるのも、尊い。

今年を振り返った時に、自分を生かしてくれた人への感謝や、できなかったことへの自責の気持ちが同時に湧いてくる。これは毎年同じだ。

毎年ながら、自分の努力だけで賄えない多くのエネルギーを、優しい人たちから分けてもらったことも無視できない大きな事実だった。いただいたものを増幅してたくさんお返ししようと思う。私は、きっとそういう仕事をしているはずだから。

良いお年を。



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