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空を仰いだ


「どんなことを感じたか。なんでもよくて、よく知らなくても大丈夫。あなたが、どんなことを感じたか、シェアしてみよう。」

デンマークの授業の中では、こういった言葉から始まる意見交換がよくありました。

話をする目的や、解決したい問題はあっても、正解が用意されていないことがとても重要で、先生たちも最低限の軌道修正、進行しかしません。

一つのことに対する知識量は人それぞれだけれど、コミュニティのなかで同じように話をしてみることの大切さを心底感じています。知っているから偉い、という上下関係はありません。

人の集まりはパズルのように凹凸で、様々に補い合い、助け合っているからです。先生たちとの関係も同じようにそのパズルの中にあり、なんともかっこよかった。

しかしこのところ、知らないなら黙ってろ、という言葉を本当によく見かけます。

本当にそうかなあ、と一人悶々としています。

その中で、なんでも良いからシェアしてみようという、発言することやその機会への重要性を見逃してはいけないな、という思いに行き着き、書くに至っています。

まず声に出して当事者として発言することで、自分の思いに焦点が当たり、その中の、疑問や、不信感、逆に希望に気づくかもしれない。声に出すことで初めて感じる当事者意識や責任感というのもあって、これって密かにとても大事なことだなと思ってます。(すべて段階になっていて、人によって到達のスピードも関心度も違うので、慣れや助け合いも必要ですよね)

なぜ、不信感を抱くのか、なぜ、希望を感じるのか、掘り下げてみたいと思うことが、知ることへの入り口なのに、知らないなら黙ってろとは、

もう考えなくて良いって言われてるみたいだな、と思ってしまう。

例えば、日本では政治の話題は特定の人のものだけになっているように感じ温度差を感じている方も多くいると思いますが

これこそ、前述したように、気軽に話せるものになってほしいなと、私は切に願っています。

でも現状それが難しいのは、おそらく「違い」や「未知」への恐怖からで、それを理解せずに「違い」や「未知」が悪になってしまい、それらを排除しようとしたりするのも人間ですね。

インドのDharamsalaに行った時、チベットの亡命政府を尋ねました。

チベットから逃れてきた方の話の中に「平和の行使とは、何もしないことじゃない。平和活動を継続して行っていくこと。」という話がありました。

現状維持というのは、現状維持でしかなく、平和活動というのは平和というものを日々自身で考えることもそうだし、目の前の誰かを大切にすることもそうかもしれませんが、人と自分との「違い」と上手に向き合うことも一つ、そういうことかなと今は思います。(チベットやチベット仏教について知りたい人はぜひググってみてね。)

デンマークでの授業の有り様は、この平和活動の種みたいです。違いを知り、学び、助け、また自分を知ってもらう。私もなかなかすぐには上手にできなかったけど知って、学びたいと思えたことがあの場所でたくさんありました。

自分の中では、多少端折りながらも久しぶりに思う所を、真面目に長々書きました。ちなみに、ここに書いたことはあくまでも、誰に何を言っても良い、ということではないです。なにか近い問題を感じている人と少し共有できることがあれば嬉しいです。

日々、目につくもの耳に入るものから感じすぎることも多く、知らず知らず疲弊しそうなので、そろそろ美味しいものの補充が必要です。(生クリームを取り出す)

今こんな時だからこそ、助け合って生きたいね。

健やかに過ごそうね。

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