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【日記】きょうのできごと ―O嬢の結末について

きょうは特に予定もなかったので、買ったばかりのChromebookを持ってカフェに行きました。ふと思いついた作品の構想をメモしたり、そのための資料をまとめたかったのです。

いつも行くシャレオツな喫茶店ではなく、なんてことのない普通のチェーンのカフェ。カフェオレを頼み、iPhoneで再生したYoutube動画をイヤホンで聞きながら作業を始めることにしました。
とはいえ、やる気が起きているわけではありません。私は怠惰な人間です。とりあえずそういうときは手を動かすに限ります。

持ってきた文庫本から、構想に必要な箇所をGoogleドキュメントに書き写していくことにしました。紙の本は検索性がよくないが玉に瑕です。こうしてカタカタキーボードを叩いているうちに、なにかやる気も起きるでしょう。

こうして文章を書き写していると、学生時代のことを思い出します。文学部だった私は、当時も文庫本を机に置いて、レポートに引用するために文章を書き写していたものです。

そんなことを考えていると、ふと隣の席のお兄さん(イケメン)に声をかけられました。

「すいません、2分だけお話してもいいですか?」

「……!?」

びっくりした。「いいですけど……!」と答えながら、内心は(ナンパか……?いや……?なんだ……マルチか……?)と頭が回転を始めます。

「すごく集中して作業されているようなんですが、何をされているんですか?」

…………えっ。

私の中に動揺が走ります。

だって、その時、私が何をしていたかと言うと……

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この「全日本2大卑猥な表紙の文庫本」である「O嬢の物語」から、必要な描写をGoogleドキュメントに書き写す作業なんですもの……。(ちなみに、もう1つの卑猥な表紙の文庫本は「ドグラ・マグラ」です)

ごめんねイケメンのお兄さん。隣で卑猥な本を読んでいて。すまん、悪かった。これは中身も卑猥なんだ!!!!!
私、めっちゃ集中して卑猥な小説を書き写してた!!!!!!!!!

というわけで、私は見知らぬイケメンのお兄さんに卑猥な表紙の文庫本を見せ「これを元に作品を書こうかと思っていて、その構想のためにカタカタしてるんだよ」みたいなことを伝えました。それから少し会話をすると、お兄さんは満足してカフェを出ていきました。

マジで普通に気になったんだこの人……(疑ってごめんね)。
連休中、ほとんど人と会話をしていなかった私は、このなんてことのない(なんてことのない???)見知らぬ人との会話に、だいぶ癒やされたのでした。

それにしても、卑猥な本を読んでいてマジでごめんね……。
もしかして、私なんかいいフラグをぶち折りましたか?

■閑話休題■

というわけで、実際書き上がる自信は全くないのですが、大好きな「O嬢の物語」のオマージュ?みたいなものが書きたいなあ、と思い立った昨今です。もしかすると、これが2021年下半期の目標かもしれない。

私は「O嬢の物語」が大好きです。「ロワッシーの世界観が憧れ!」とたまに公言したりもしています(とはいえ、実際に読み返すと嫌なところもたくさんあるのが、ロワッシーのあの館なのですが)。

「O嬢の物語」は、こんな風に始まります。主人公のOが恋人のルネにある城館に連れて行かれ、そこでルネや他の男たちから肉体的に過酷な調教を受けることになります。服装(首輪に腕輪を嵌められ、腰はコルセットで締め上げ、いつでも「上下の唇」を使用できるようなスカート)、態度(男たちの前では決して唇と膝を閉じてはいけない)、そうした生き方すべてを男たちによってただされていくのです。このロワッシーの城館での2週間の調教が第一章「ロワッシーの恋人たち」で描かれます。

むしろこの苦痛という手段によって、お前が自由を束縛された身であることをお前自身に納得させることなのだ。
(「O嬢の物語」より引用)

せっかくなので、書き写していた文章のご紹介も兼ねて、好きなところを貼っておきます。

私はこの第一章の「ロワッシーの恋人たち」が大好きで、以降の物語については「好きは好きだがしんどい」という感想を持っています。

今回、必要なのは第一章だけなのですが(どんなものを作ろうとしているのかは内緒です)、二章以降もざざっと流し見をすることにしたのです。そして、最後の結末を開きました。その本の短い文章を読んで、私はいても立ってもいられなくなり、作業はてんで途中だと言うのにカフェをあとにしました。

私は、この結末を見るとしんどくなるのです。

第二章以降の物語についての細かい言及は今回はしないのですが、エンディングというか、物語の最後というか、この文庫版「O嬢の物語」の最後のページだけ、引用をしようと思います。

ラストなので、ネタバレというか、自分で読むまで結末を知りたくない方は読まないでください。

 削除された最後の章では、Oはふたたびロワッシーへもどり、そこでステファン卿に捨てられるのである。
 Oの物語には第二の結末がある。つまり、ステファン卿に捨てられようとしている自分を見て、彼女はむしろ死ぬことを選んだ。ステファン卿もそれに同意した。
(「O嬢の物語」より引用)

※「ステファン卿」というのは、Oのルネの次の相手。恋人というか、いや、なんだ?

私は、この結末と言うか、注釈を読むたびに胸が締め付けられる気がしてしまいまうのです。正確に言えば、この物語を初めて読んだ大学生の頃は全然平気でした。「ふーん」ってかんじ。「ふーん」。それが、今ではしんどい。

私が書いたメモにはこうあります「マゾヒズムは悲劇で終わるしかないのか」

現実の話なのか、観念上の話なのか、それとも物語構造の話なのか、いずれの話であれ、私はこの疑問への自分が納得行く答えを探しているのかもしれません。

きょうはただの日記なので、このあたりの複雑な気持ちはまた機会を改めて。

そんな一日でした。

おまけ

この通り、「O嬢の物語」が大好きなのですが、比較的最近読んだ日本の官能小説「華宴」がかなりO嬢に似ていると思っています。
この2作品の比較をしたいな、と思っているのですが面倒になってしていません。やりたいな、やらなきゃな……。


面白い本の購入費用になります。