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お茶碗と価値

「千利休は日本が誇るクリエイター。名もなき茶碗に価値をつけるということを始めた。お茶という仕組みを作った」、と今朝手にした読み刺しの本(「超クリエイティブ」)に書かれていて、わくわく嬉しくなった。まさに初釜(お茶会)に向かう電車の中だったからです。

小さなお茶室で振る舞う家人と客人がお作法に基づいてお茶を飲む、そのお茶碗、お茶を立てるさまざまな形式、床の間に飾る書や花、お香、それらに四季を絡めて、一連のもしかしたら壮大な仕組みを作った。
来客お茶碗は土でできた茶碗に数十、数百万円という値付けがつくこともあるという。古いものほどに価値がつく。

(確かに)、と思いながら、茶室をキョロキョロ見渡していた。
お茶碗には、お箱書きがある。そこに〇〇お好み、なんて書いてあったりするとさらに値が上がるらしいです。お茶入れもお茶をしまうお洋服なような袋が2つあると高いとか。

日本のものづくりは、(材料からの)積み上げ型で価値の見せ方が得意ではない、そうなのだ。でも、ふと。お茶はここを楽々クリアしているのかと。100均 の茶碗は使わないものね。

大量生産以前にはなるも、価値を生み出すというやり方、元々できていたんじゃないの?
いや、元祖クリエイターが外にいたということなのかな。
なんてことを考えると、なんだか日本のものづくりは大丈夫よね、と思えて、心強くなってきた。

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