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ちゃん付けと甘い言葉

はじめまして。砂糖ちかと申します。

砂糖が名字で、ちかが名前。
どうぞ甘い名前だな~と覚えていってください。

そもそもは甘いものが全般的に好きで、自分にも激あまな人間なので
こんな名前をしている訳ですが、気に入っています。

”甘いもの“って可愛いですよね。
ショートケーキ、チョコレート、マカロン、メロンパン
どらやき、あんみつに大福、あ、あとアップルパイ。
字面も可愛ければ、実物も可愛い、そしてなによりそれらを好きと言っている自分が可愛い。それこそが私の思うかわいいの重要なポイント。

わたしが思う可愛い

可愛いに限った話ではないんですけど、感情は2種類あると思っています。
客観的に見て可愛いか、主観的に見て可愛いか。

私はここ最近まで前者しか気にしていませんでした。
周りから見て恥ずかしくない格好、話題、流行。自分が良いかどうか以前にみんなが興味あるかどうか。なので中学生時代はさほど興味のなかったアイドルを必死に追っていた記憶があります。

そして思い出すのは、さらに遡って小学生の頃。
幼いながら「かわいい」と「かわいこぶってる」の違いを女の子は気にしながら身だしなみを整えていました。

おめめがぱっちりで髪の長い子はかわいい
ミニスカートとニーハイソックスを合わせるのはかわいこぶってる
自分のことを名前で呼ぶ子はかわいこぶってる
お友達のことをちゃん付けで呼ぶ子はかわいい

今こうして書きおこしてみれば、どれも可愛いらしいことなんですけど。
当の本人は大真面目に考えていました。かわいこぶってる子は無視しよう、なんて話も飛び交っていました。怖。
ピンクのミニスカートをはいて黒とピンクのしましまニーハイソックスを履いた自分のことを名前で呼ぶ女の子は、周りでは「かわいこぶってる」「モテようとしてる」とこそこそ言われていたけど、やっぱり今思い出してもあの子は可愛い。

周りの目ばっか気にして友達全員のことをちゃん付けで呼んでいた私には、あまり彼女と話す機会はなかったのだけれど。
周りの声も気にせず自分がかわいい!って思うことをしている姿にきっと私は憧れていたんだろうなぁ。名前呼びとか 両親のことママパパって呼ぶのとかは、たぶん、家庭環境の違いなんだろうけどさ。

私も黒とピンクでちょっとボーイッシュだけどハートとかちりばめられてる、あの時の流行を借りるなら「甘辛mixコーデ」したかったな。

好きなものは好き

自分から好きなことやものを否定するって、すごく悲しいしその好きなことに対しても失礼だし、圧倒的に幸より不幸を生む行為だと思う。

特に高校時代、アニメが好きで声優さんが好きで、好きな歌い手さんの曲を聞けばキャーキャー言っていたスクールカースト最下位にいた私ですが、やっぱり周りの目を気にして 下半期頃から「別にアニメ興味ないし面白くもない」

一緒に絡んでくれていた数少ない友人に対しても「恥ずかしいからやめて」「うるさいよ」とオタクは恥ずかしい、と言った説教じみた話をしたことがありました。
当時の私は本当に自分の好きなものを何で好きになってしまったんだって悩んでいたけど、結局3年後経った今も好きなものは好きだし、コンテンツの新しい発表があれば踊って喜ぶ。

先日、たまたま出先でその友人に会いご飯にも行ってきたが、あの頃と変わらずのテンションで、今ハマっているアプリのプレゼンを受けてきた。
今の私はそれも笑って私はこの人が好き、なんて言える。
あの時は私のわがままで不快にさせてしまってごめんねって謝ろうとしたけど、覚えているかわからないことを掘り返して謝罪するのは私のエゴかなと思って、その日はただただ笑っていた。


私は「主観的に見て可愛い」を優先するまでに20年近く時間をかけてしまった。
厳密にいえば、まだかかっている かもしれない。
まだ私は等身大の人形を自分好みにカスタマイズすることも、自分自身が人形になるマスクも買っていないし、ありえないくらい高いヒールも手に入れていない。

私は、私の可愛いを目指す。これからもずっと。
周りから馬鹿にされようが、おばあちゃんになってもいちごを練乳につけて満面の笑みを浮かべるような人になりたい。

どうか、どうか 

そうして私は今日も新発売のアイスクリームを食べながらピンク色のスカートを探している。

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