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母の絵が好きだった

こんばんは。砂糖ちかと申します。

美しいものを見たとき
楽しい出来事があったとき
胸が締め付けられたとき

今思えば、いつも私は絵に助けられていました。
感情を絵にぶつけることで理性を保っている自分がいます。

そもそも私が絵に興味を持ったのは、母がイラストレーターだったから。
幼いころから可愛い絵を描く母を見てきました。

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やはり親の職業は子に影響するのか、迷うこともなく私の夢はイラストレーターになりました。途中で小説家とか漫画家とかゆらいだ時期がありましたけど、結局戻ってくるのはイラストレーターなんですよね。

よく一緒に絵を描きました。
母は何十年もミリペンと色鉛筆で絵を描いていて、私は中学生の時に買ったペンタブでデジタルを学び、お互い良さを尊重しつつ教えあいっこしていました。
私の絵の一番の理解者であり、尊敬できる人。

そんな母は私が高校2年生の冬 亡くなりました。

約4年半の闘病生活の末でした。
私には想像できないほど辛く、痛い日々だったと思います。
それでも母は毎日イラスト付きの小さい日記をつけていました。救急車に運ばれた時のことでさえ書き留めてたよ。

母1

入院退院を繰り返して、指も震えてペンも上手に握れなくなっていったのに
ずっと描いていました。メモ帳が辞書くらいの厚さになりました。

母2

母3

私が絵を描いて見せると 褒めてもくれたし、アドバイスもくれた母。
周りの知り合いは褒めてくれる人ばかり(ありがたい…)で調子に乗りがちな頃、指摘をしてくる人は貴重でそんなところも大好き。
一緒にtwitterを始めたら絵を見てくれる人増えるんじゃない?と言って登録もしました。お互い結局フォロワ―は50人弱でした。それでも楽しかったよ。

正直母とは一生後悔するような別れ方をしてしまい、死ぬまで自分のことを憎むし一生母に謝り続けるかもしれないのですが、私にできる償いは絵を描き続けることだと思っています。

償いというと悲劇のヒロインぶってるかもしれない…。そんな綺麗なもんじゃない。私が母からもらった最大の形見は”絵が好きなこと”かなって。
これは譲れなくて ずっと、ずっと大事にしていきたいんです。
だからスランプでもう絵描けん!と思っても、ふと思い出して好きとか楽しいって気持ちを思い出します。いつでも心には母がいる気がします。
でももう母は私の絵を見てくれることもないし、私も母の新作を見れることはもう二度とないのです。しんどい。

母の死後、私はイラスト系の専門学校へ進学し 今はデザイン部の仕事について個性豊かな先輩に甘やかされながら楽しく過ごしています。
友達のような相方のような存在であった母を亡くしたことは 私の人生の中で大きなターニングポイントになったわけですが、今までもこれからも私はお母さんの絵が好き。

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かわい~~~~~!
ちょこっとスランプに落ちてる私の気持ちをまとめるためのnoteでした。
っしゃ、頑張るぞ~~~~~。

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拙く自己満足な文章失礼しました。

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