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夏日と黒い未亡人

昼近く目を覚ますと、隣には誰もいなかった。
外の鉢植えのトマトは青々と実り、はちきれんばかりに陽に照っていた。夏日だった。
夏の暑さが扉の中にまで押し寄せ、畳の部屋に静かな熱気が漂っていた。
柱時計が淡々と時を告げる音が響く中、ただぼんやりと天井を見つめた。
今年に入って最初の夏日だった。やがて運動を終えて戻った彼に誘われ、まだ眠気の残る目をこすりながら、私は急いで眉を描き、青いワンピースに着替えた。

門を出て西へ向かう。
アパートの隣には広い庭を持つ邸宅があり、私たちはその家をギャッツビーの家と呼んでいた。垣根の隙間から見える天井までガラス張りの建造物には、富豪の老夫婦が住んでいるのだ。

横浜の街は細い路地が幾重にも入り組んでいる。
適当な路地に入ると、放置されたビニルハウスや灰色の石が敷かれた駐車場が目に映る。ある細い路地の左手には紫陽花がひっそりと咲き誇り、右手には古びた民家の洗濯物が湿った風に揺れていた。民家の裏手に行くと、小さな墓が六つ並び、山の入口となっていた。

墓を越え、枯れ葉や柔らかい土を踏みしめて竹林の斜面を登った。纒わり付くやぶ蚊と蜘蛛の巣、湿った腐葉土、なぎ倒された巨竹。急に視界が開けた。
白く光る巨大な人工物。正面に見える山の斜面は巨大なコンクリートで覆われ、竹林にそびえ立っていた。六月初週にしては強い日差しが竹の間から差し込み、その人工物を夏の静寂の中でひときわ白く冷たく浮かび上がらせていた。異様な光景だった。数ある光景のひとつであることには間違いないのに、ふと会社のデスクに座ってあの場所を思い出すと、どこか夢であったかのような不思議な感覚に陥る。いつか上野の谷中霊園で感じたものに似ている。何度訪れても、同じ場所には辿り着かないのだ。二度と。


私たちは踵を返した。

引き返す道中、足元に目をやると、川のように群れる蟻の中に、一匹の茶色い虫を見つけた。死にかけているが、まだ微かに息があるようだった。
足を引きずりながら、一歩一歩進むその様子に、私はかつての祖父の姿を重ねた。

小学校の頃、母と朝食を食べながら窓の外に目をやると、畑を隔てた幹線道路の先に、下を向いて歩く白髪の祖父の姿が見えた。五十メートルほどで祖父は見えなくなるが、背中が盛土の影に消えるまで、毎朝母と見送った。
部屋にいても祖父は、よく手のひらを見つめて下を見ていた。私が呼ぶと、嬉しそうに顔を上げて、「よく来たな」と言う。ああ、もうその声も思い出せなくなってしまった。

別れるときには祖父は楽しそうに「せっせっせーのよいよいよい」と歌を歌い、それが終わるまで私の手を離さない。少し体温が低い大きな手だった。高校生になっても私は意地でも握手を続けた。祖父は私の家から歩いて1分の病院に入院したが、ほとんど顔を出さず仕舞いだった。痩せていく顔と体温の低い手が、私には耐えがたかった。ももはどうした、ももは風邪ひいてないか、ももは事故にあっていないか、もも、もも。
祖父が愛したのは祖母と私だけだったと母が言った。死んでからそれを言う母に腹が立った。ただ、私はその責任を果たすべきだったのではないだろうか。


私たちはその虫を拾って帰った。カブトムシのメスだった。最初はじたばたと手を噛んでいたが、次第に大人しくなった。彼はその虫にBlack Widow(黒い未亡人)と名付けた。ブラックウィドウは夜になってもゼリーに口をつけず、しばらくしてプラスチックのボウルで作った巣を覗くといなくなっていた。ラップの隙間から逃げたらしい。甲斐甲斐しく世話を焼いても、所詮は昆虫だと思った。家じゅう探し回り、諦めて散らかった部屋を片付けると、植物を育てるテントの中の新聞紙の下でちょこんと見つかった。

この未亡人は外が恋しいのだろうと手に乗せて、隣に住むギャッツビー夫妻の広い庭に向けて放とうとした。でも彼の腕によじ登って離れようとしなかった。

塀に置いてみると、塀の上の柵によじ登り、登り終えると所在なさげにまた降りようとする。近くの木の枝を近づけて乗せようとしたが、また彼の手によじ登って離れない。手に乗せたまま門の外に出て、このまま飼おうかなど話しながら歩くと、羽が広がった。堅い殻から透明な羽が出てきて、月明かりに白く光った。
そのままギャッツビーの家の大きな木の方向にぶうんと飛んで行った。

彼が泣きそうな顔でこちらを見た。本当は行って欲しくなかったのだと。
ああ、この人はこういうところがあるなと思って、手を引いて家に連れて帰った。

2024.6.8(土)


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