日々を区切らなければ。

焦燥感に駆られた。

もう8月中旬なのに、
気持ちは7月のままであることに_____

8月1日、
Twitterが激震した。(大袈裟)

やばい!!!!!!今日から8月だって!!!??嘘だ!7月はどこへいったんだ!!!!

相当バズっていたので、みんな思うところだったのだろう。

ただその時は「あっ、たすぃかに~」くらいで流してしまっていた。
なんせ学校が当然のようにあったので、あまりにイレギュラーとはいえ、一応の"日常"に紛れて「まぁそりゃそうだよね」感があって、Twitterの方々ほど驚けなかったのである。

今更気づいた。
私の中で、今現在までの8月が空白であることに。
空白というのは、具体的には、毎日何をしたかの区切りがぼけていて、「なんかだいたい毎日こんなことしてたな」くらいの記憶しかない状態である。
コア(核)は、毎日が単調だったという記憶である。
これは危険だ。

8月以前はなんだったんだという話になる。
ならない?いいや、する。
この空白をどうして以後作らないようにするかの方法を探した軌跡がここにあるからだ、仕方ない。

そもそも、全員とは言わずともみんなが日々の「空白」を感じるようになってしまったのは、何はともあれ新型ウイルスにより日々の生活スタイルが変わったことだ、これは自明である。
元々「空白」でしたよという場合は、死ぬほど時が経つのが早く感じただろうなと思う。なんか多分それ関連で病んでる友達も見る。
教育現場に波紋が広がったのは3月初旬からなので、そこから見ていく。

3月2日~6月1日まで、ほぼ完全に休校だった。
学校に行けなくなり、課題が出された。
ゴールデンウィーク明けに1日とか学校に行って課題が更新されたくらいで、一日中家の中にいる状態だった。

私の中でここは「空白」ではない。
毎日オリジナル時間割で過ごしていたためだ。

いくらこのnoteが興味を示されないとたかをくくっているとはいえ、全体公開状態にあると思うとちょっと恥ずかしいからぼかした。

正確にここの期間が「空白」の対義、つまり「毎日何をしたか、それぞれ鮮明に思い出せる状態」では無いにしろ、これを私は毎日書き続けたという記憶は残っている。だから毎日同じことをしていたという感覚はない。セーーフ!!!
見れば何をしたか思い出せるので、今思い出せなくても問題ないのである。なんかギリギリラインを攻めてる気がするな、まぁいっか。

6/2に謎にHR(ホームルーム)だけあって帰された。
で、緊急事態宣言の解除の話で6/15~7/2まで、分散登校という形になった。
出席番号でクラスを半分に分け、午前中組・午後組で登校して授業を3時間受けて帰る、というものである。
正直ここは「空白」だ。
さあ!なんでだろう。ここが問題なのだ。
まず、記録をつけていない。自分がその日何をしたのか、完全に休校していたときのようにつけなかったのだ。なんせ真っ白で綺麗なコピー用紙が勿体ない気がしたからである。
次に、一日の密度があまりに小さすぎた。毎日のラジオ体操で運動量を補えた気になっていた私がばかでした。ごめんさい。もう全然、学校行くと行かないでは疲れ方が違った。だから疲れて勉強できてなかった。何も思い出せないっていうか、やってないんだもん。みたいな感じである。

そしてついに全員で登校するようになった。
ここも「空白」だ。なんか勉強したな、くらいしかない。
期末テストはそこそこ頑張り、ほぼ完全に休校してた頃に勉強したとこに上手く上乗せして点数を取った感じである。モチベは低かった。これも問題である。日々にやる気がないと「空白」になる。
休校期間はエネルギッシュだった。
テストが終わってからは、夏休みの宿題が指示された。そして午前中登校になり、いつの間にか終業式を迎えて今に至る。「空白」だ。記憶が無い。断片的に、どの日の記憶かもままならなく思い出せる程度だ。まずいぞ。

ま、ここまでちゃんと振り返るまでもなく、記録をつけることで「空白」を無くせるというのは明らかだった。
ただ、そう考えるに至った軌跡を書いておかないと、そもそもここまでの一部期間も「空白」なので、改めて区切らないと一生「空白」のままである。
今ここで頑張って思い出して「空白」を少しだけ区切ったから、これ以上「空白」を作らないように、私は記録をしなければならない。
最適なのは毎日区切ることだ。日記である。

ただ、休校期間のように紙媒体で記録するのは弊害がある。
紙が何となく勿体ない。かさみすぎる。
勿体ないかはともかく、3/2から6/1まで、ゴールデンウィークと土日を除いて毎日毎日書き続けてきたのだ。1枚がA4のコピー用紙半分。ということは1週間で2枚以上使う。うーん、使いすぎでは?
それを全てA5ファイルに入れたらファイルがとても変形した。これ以上増やすのは良くない。

そうなるとデジタルで残すのがいいな!
LINEのkeep、Twitter、高速メモ帳、classiの学習記録…
色々書けるところはあった。他にも。
LINEのkeep、高速メモ帳は文字単体でしか残せない。Twitterは文字制限が煩わしい。classiも文字制限があるし、上の教育機関に監視されてるのもあまり好ましくない。他にアプリを探すのは面倒くさい。
noteがちょうどよいのでは!!
画像を文中好きなところに配置できる機能は魅力的だった。

ということで、日記を書いていこう。
なんでもその日思ったこと、やったこと、とりあえずそれを読むことでその日はなんの日だったのか自分で思い出せるような日記を書こう。

そして忘れちゃいけないのが、日々の密度である。
記録をしなければいけないことはなんとなくわかっていた。
ただ、その日1日にやったことの量、質、やったことに注いでいたエネルギーが、私の日々を「空白」から遠ざけていく。
だから、できる限りは密度高く生きていきたい。日記をつけることで日々の区切りを意識して、日々のモチベを高めていきたい。
そうすれば、私の日々は新型ウイルスのせいで「空白」になりました。虚しいね。と後々嘆かなくていい。

だからnoteに、後から読んで楽しくなるくらい、面白いなと思うくらいの日記を書こう。
ただそもそも私自身はデフォルトで楽しくも面白くもない人間なので、そういうことを率先してやっていく必要がある。必然的に日々の密度が上がる設計にする。
そして、その日記を読むことで、後々なんの日だったかがわかるようにすれば、私のこれからの日々は、少なくとも全ての学校行事が無くなった今年度は「空白」ではなくなる。

こういうの、続いたことがない。
でもチャレンジあるのみである!
ふぁいと1発!!

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