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2019年6月

不登校関係のRTに「おや?」となる。
「ファシズム体育の人」と見られるのが嫌だなと思う。
馬のことを扱おうとして、もしかしたら「好き」ばかりの結論じゃなくなるかもしれない。

沖縄に行ったら、そこは外から来た人にとっての「サンクチュアリ」や「アジール」ではなく、生きて行く上で現金を得る手段が少ない、本州でよく見る大手チェーンの進出が殆どない「僻地」だった。
一方、そこでの生活は直線的な時間と円環的な時間の混ざったところで
円環の平穏もあり、しかし、それがこそが閉塞でもあるのかもしれない。

そういうことに気付いた。

屋那覇の自然も大きく変わった。
見たことのない熱帯植物が増え
中心部のジャングル化が進み
広々とした国道は獣道になり
モクマオウは立ち枯れし
見たことのないガジュマルが育っていた。
恐らく、樹齢10年あるかどうか。

昔、船を渡してくれてたウミンチュは亡くなっていた。

新しい船頭さんと知り合いになった。10年前にも会った人だ。
偶然にも名前を思いだした。全く準備をしていなかったし、見返したわけでも10年前の手帳にメモった名前を思い出せたのが不思議でならない。

変わらない景色を求めて行ったら、そこに「変わらない景色」はなかった。
「景色」は変わる。「自然」は変わる。
それは、「こんがり」ですらも。
「こんがり」が変わったのは人間のせいではない。
屋那覇島もまた、少しずつその姿を変えていく。
不変の故郷などというものは、人間の頭の中にしかなかった。
万物は生々流転。

それが無人島であっても。
「維持」というものは「手間」がセットだ。
「変わらないため」に「手を掛ける」、それが人間の思い描いていた「自然」の姿を維持するために。


私がこれまで持って来た対象と疑問のありようが変わった。
対象への繋がりそのものがどう変わるのか、
切れるのはイヤだ。

違う繋がりで見ていきたい。
伊是名を。沖縄を。


青臭い動機だろうか。

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