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誰も私のことを知らない世界

 本ページではアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』の登場人物・桜島麻衣の「空気」化現象について、神戸連続児童殺害事件の加害者である少年Aとの比較よりその意味に対する理解を深めることを目的としている。

「空気」になった少女

 TVアニメシリーズ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(以下『青ブタ』と呼ぶ)は「思春期症候群」に悩む少年少女を描いた作品である。この「思春期症候群」は『青ブタ』の物語世界で「都市伝説」として語られているもので、作中では「思春期の不安定な精神や強烈な思い込みが見せるまやかし」と定義されている。『青ブタ』の物語は「思春期症候群」に冒された主人公、梓川咲太と同じく同症候群の様々な症状に悩む少女たちの姿を描いている。

 物語のヒロインである桜島麻衣もこの「思春期症候群」に冒された少女である。麻衣はある時より自分が周りの人びとから見えない存在になっていることに気づく。彼女は自身の姿を見える人間がいるかを確認するため人の目を引きやすいバニーガール姿で街を徘徊しており、図書館で偶然出会い彼女を認識することができた主人公の咲太よりこの現象が「思春期症候群」によるものであることを伝えられる。だが、麻衣のこの「症状」はその後「悪化」し、やがて母親をはじめとする人びとの記憶からも存在が消え始め、最後には咲太にしか見えず覚えられていない存在へとなってしまう。物語中で用いられる語に従えば、麻衣は「空気」化してゆくこととなる。

 では、このような麻衣の「空気」化現象の原因とは何か。残念ながらこの「空気」の語の正確な定義を含め、その答えは物語中ではっきりと述べられてはいない。ただし、物語の中で咲太の友人であり科学部に所属する双葉理央がこの現象の理解へと繋がる一つの解釈を示している。それは「シュレーディンガーの猫」に見られるような「観測と認識」との観点より理央は次のように語る。

咲太「思春期症候群に?」
理央「違う。思春期症候群なんてものが起きる前から、あの人が学校の中で空気のように扱われていたことに。私自身も空気を読んで、みんなが桜島先輩を無自覚に無視してる異常な状況を疑問も抱かず受け入れていた」
咲太「逆に疑問に思わないからできるんだろう」
理央「でも、だからこそ糸口はこの学校の空気にあるように思える。桜島先輩は学校の誰からも観測されておらず存在が確定していない。桜島先輩にとってこの学校こそが猫を入れた箱なんだよ。……(以下略)……」¹⁾

 理央の考えに拠れば、麻衣は入学当初より学校では「空気」として扱われており(また、麻衣自身もそのような「空気」として振る舞っており)、その「空気」が学校外へと漏れ出したことが彼女の存在が世界から忘却されることに繋がったという。

 たしかに、このような『青ブタ』の「思春期症候群」の症状は現実世界で考えれば非科学的な話で、フィクションの世界の中でのみ成り立つものである。だが、この麻衣を襲った「空気」化という現象が意味するものに注目した場合はどうだろうか。麻衣の現象は過去より私たちの現実社会が抱えるある問題へと繋がってゆくように思える。

犯行声明

 というのも、このような麻衣のいわば「空気」化といった現象はかつて「透明な存在」といった言葉に示された問題とその本質を同じにしていると考えられるためである。「透明な存在」とは一九九七年に起きた神戸連続児童殺害事件の加害者(いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」。以下、「少年A」と呼ぶ)がマスコミに対して送付した「犯行声明」の中で用いた言葉である。実際の「犯行声明」からこのフレーズが用いられた箇所を引用しておこう。

もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない

 そして、この引用には『青ブタ』の麻衣の「思春期症候群」を理解へと繋がる二つの重要な問題が含まれている。その一つは「実在の人間として認めて頂きたい」という少年Aの願望、あとの一つは彼にそうした願いを抱かせるに至った「義務教育と、義務教育を生み出した社会」といった教育、社会システムの問題である。

「絶対的他者」の獲得

 まず、少年Aが語る「実在の人間として認めて頂きたい」といった願望から考えてゆきたい。これについては、社会学者の大澤真幸による少年Aの分析を参考にするのが良いだろう。大澤は少年Aにとっての犯行は「絶対的他者」獲得のための試みであったと分析している。少年Aにとって警察とは「透明な自分の存在を確認する」ために必要とした存在であり、彼がマスコミや警察に対して声明文を送った理由は自己を認識させようといった思いからであると大澤は考える²⁾。つまり、少年Aは事件を引き起こすことを通じて警察やマスコミの注目を集め、自身が実在する人間であることを証明しようとしたのである。

 この大澤の考えは『青ブタ』の物語の冒頭で麻衣がバニーガール姿で街を歩いた理由に合致する。麻衣もまた自身の存在が世界から失われてゆく中、自己を認識できる人間を探すための方法として「野生のバニーガール」になるという方法を思いついた。彼女は放課後に誰の目にもつくバニーガールの衣装を選び、それを着て街を歩き誰かの目に留まることで自分が実在することを確かめようとしていたのである。

子供たちの閉塞感

 次に「義務教育と、義務教育を生み出した社会」の教育、社会システムの問題について考えてみよう。前述の引用の通り少年Aが「犯行声明」で「透明な存在」を造り出した原因は「義務教育」にあるとし、これを復讐の対象としている。しかし、この少年Aの義務教育を悪とする主張をそのまま客観的な一つの社会批判とし認めることには若干の疑問がある。というのは、この「義務教育と、義務教育を生み出した社会」と「透明な存在」の関係が不明なためである。日本文学者の栗坪秀樹もまた少年Aが用いたこの論理を「稚拙」なものと考え、この箇所について「自身の学校体験もしくはそれをめぐる生活体験に違和感を唱えていると理解するのが順当であ」ると述べている³⁾。ここで少年Aが復讐の対象とした「義務教育、義務教育を生み出した社会」は栗坪のいうような学校を中心とする彼に閉塞感を与えた環境であると解するのは自然に思える。

 そして、そのような閉塞感は『青ブタ』の麻衣を取り巻く環境にも見いだせる。入学後より麻衣は友達が一人もおらず、学校では無視される存在であった。彼女のそうした扱いについて同じ学校に通う誰もが疑問に思わず、彼女自身も変えようとはしなかった。彼女が「思春期症候群」を契機にその状況の異常性が明らかになったのである。

総括

 ここまでの話をまとめたい。『青ブタ』の麻衣と神戸連続児童殺傷事件の少年Aとは二つの点で共通点があることがわかった。それは、両者が自らの存在を他者に認識させるために行動したことと、その背景には学校を中心とした彼女らに閉塞感を感じさせる環境があったということである。

 九〇年代に起きた悲劇の背景が今もこうして多くの人びとの共感を得る作品の舞台となってしまうことに多くの悲しみを覚える。この事実は私たちがいまだ少年Aの起こした事件の解決にいまだ至っていないことを示すものではないだろうか。

   

1 鴨志田一原作 増井壮一監督 Clover Works制作 青ブタ Project製作『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』第2話(dアニメストア)4:06
2 大澤真幸「〈透明〉を〈実在〉に変える視線──酒鬼薔薇聖斗の「聖なる実験」」『児童心理 1997年11月号 別冊 No.687 神戸小学生殺害事件 事件の背景とこれからの教育を考える』、pp.56-62
3 「子供たちは狂気を生きのびられるか ──〈神戸連続児童殺傷事件〉に関する私論」『青山学院女子短期大学総合文化研究所年報』1997年、p.40

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