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描いてきた人物で自己分析してみる


絵の中に人物が登場することがよくあります。私は絵を一つの物語として捉えていて、その主人公として登場してきます。

モデルがいて、写生をベースに人物を描くことも大学ではありますが、小作品は基本的に空想で描いています。


今夜は、空想で描いた人物に絞り、そこに登場してくる人物は自分にとってどんな意味があるのか、ふと興味を持ったので、自己分析として、今まで登場してきた主人公の変化を振り返ってみます。


①入学したて、大学1年生〜2年生の始め頃
「中性的な子供」

懐かしい。


このシリーズは枚数も多く、描いていた期間も長いです。
この頃は人物を大きくメインにした構図で、性別も年齢もはっきりしないような、ニュートラルな「ひと」のイメージを描きたいと思っていました。
特定のモデルはいません。
髪の毛を白で描くことが多かったのは、肌と髪の毛とのコントラストを弱くして、顔の表情に目がいくようにする工夫です。
しかしその顔の表情も主張がなく、特定の喜怒哀楽などの感情にならないように意識していました。
正面顔は強いので、目を瞑るように描いていました。
今はこのような人物は描かなくなってきましたね。
描きたい絵が変わってきました。



②大学2年生の始め頃〜
「白いパジャマを着た少年」

人物のサイズが一気に小さくなりました


この頃から「自分の頭の中を描く」ことを始めました。
Floating Planet (浮遊惑星)というシリーズです。
精神科医になりたいと思っていた時期もあるほど、心理学に関心があります。
この頃は脳を宇宙に例え、その中に不安げに、小さく佇む「自我」をこの人物で表現し、精神状態の可視化?を試みていました。
ですので、この白いパジャマを着たマッシュヘアの少年は紛れもなく私自身です。
宇宙を一人で漂うような、静かで落ち着く世界を書きたいと思っていました。
この人物のサイズは指先ほどです。私は元々細かい作業が苦手な方なので、毎回格闘しています笑。


③大学2年生中頃〜現在
「帽子を被ったロングコートの青年」

「物語」感が増しました

小説「星の海」にも登場していた、このような、帽子を被りストールやロングコートを身につけた人物が最近は多く登場しています。
昔々、科学がまだ発展していなかった頃の、「人々が宇宙に最も近かった」時代の旅人や詩人を表現しています。
この頃から、「物語」というものをより強く意識するようになり、その「時代」や「世界観」に合った人物が登場するようになりました。
前の「白いパジャマの少年」との違いは、「現在の自分自身の投影」というよりは「憧れ」や「理想」が彼らに現れている、というところでしょうか。
こんな人になりたい、こんなふうに生きたいという理想の自分が表現されているのだと思います。



こうして振り返ってみると自分自身の変化がよくわかりました。

それに、登場してくる人物が
「小さい子供→少年→青年」と
段々と大人になっていっています。
まるで自分の分身を育てているみたいです。


今はどちらかといえば、人物よりも風景に興味があります。
人物のいない作品も少しずつ増えてくるかもしれません。


自分自身の内面や考え方が、ここ数年、いやずっと。
目まぐるしく変化しているのを感じます。


数ヶ月前に考えていたことがもう古くて仕方ない、といった具合に。

数ヶ月で考え方が真逆になる、なんてことが平気で起こります。

それゆえ、自分の中で不一致が起こり、古い考えの自分に今の自分が振り回されることになったり、自分の変化に周囲が驚いたり。

いや、自分の変化に一番驚いているのは自分かもしれません。

前言撤回ばかりです。

熱しやすく冷めやすいとも言うのでしょうか。

ほんとうに、興味の移り変わりが非常に激しいです。


そんな自己の変化とともに、作品も変化していくものでありたい。


これからも変わり続けていくはずです。


今まで描いてたけど描かなくなった

今までなかったけど描くようになった

そんなものが多くなると思います。


自分でも、想像がつきません。

数年後はどんなことを考えて、どんなものをつくっているのだろう。


今夜も最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。



夏風邪が流行っているようで、学校でもお休みの人がいて。早く元気になって欲しいです。

みなさんもどうか、お身体に気をつけてください。

ではまた

おやすみなさい。


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