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答えのない禅問答とともに生きる
スガカオルです。
突然ですが、タイムラインに流れてきた言葉。
どうせ生まれてから死ぬまでの時間しかないのよ。
— ゲイの精神科医Tomy (@PdoctorTomy) April 11, 2021
肯定とか否定とか比較とか、
結論の出ないものについて考えなくたっていいじゃない。
目から鱗!
納得せざるを得ない言葉。
人生においてわたしが何に今まで時間を費やしてきたんだろう?と思わず唸ってしまったこのツイート。
今までこだわってきたことはたくさんありました。
しかし、今は昔より軽くなったことが確実にあります。
今日は答えの出ない問いについてお話したいと思います。
今までの禅問答
わたしの母はギャンブルとお酒の依存から多額の借金を作ったことがきっかけで、ある日突然姿を消しました。
それから長い間、禅問答を繰り返しました。
「母にとって家族はなんだったんだろう?」
「わたしは何もできなかった」
「母にとってわたしはなんだったんだろう?」
わたしはまるでいなくなった母から大きな課題を与えられたような気持ちでした。
これは今になっても出ない答えです。
母に会って聞くことも考えました。
わたしは戸籍を追って、母の所在を探偵バリに調べました。
自分の戸籍謄本から母との子の関係を証明されて、その戸籍謄本を持って、母の本籍地のある役所に行き、戸籍謄本を取りました。
母の本籍地が変更されていなかったので、母の住民票の移動履歴を知るために「戸籍の附票」というものを同時に取得して、住民票登録の異動から現在地を知ろうとしました。
しかし、母は姿を消しており、住民票の異動もしていませんでした。
それを自治体の方が確認しており、住民登録の削除(職権の削除)がされていました。
その時期は家庭裁判所で父が申請した失踪人との離婚が確定した年でした。
これは職権の削除というのはあまりないのとだと役所の人は話します。
母は身分証もない、住所不定の人ということが分かりました。
ついでに言えば、あまりない「職権の削除」が母の戸籍から2人いました。
母のほかに母の兄弟も職権の削除によって、行方不明となっていたのです。
これは母の意思であるのだなと感じ、わたしは調査をやめることにしました。
あやふやにしたままでも良いことはある
今も母とは関係性を続けているわけではありません。
居場所も分からないままです。
状況として何も変わっておらず、わたしの抱えていた問いに答えは出ていません。
しかし、わたしは心の中が少しだけ軽くなりました。
母のことを調べる中で、世の中ですべてを解決するべきなことはなく、解決できなくても良いことがあると学びました。
宙ぶらりんのままでも大丈夫だと今なら言えます。
完璧主義のわたしでも、答えの出ないことは人生の中にあってもいいんだと実感しています。
答えのないことに向き合う
人生には答えのないことに向き合うことも多くあります。
何が正解だとか不正解だとか、それは他者が社会に定義したことにすぎません。
生きていると、他人の物差しに惑わされる場面が多く潜んでいます。
それは誰かと自分を比べたときだったり、状況を一般社会に当てはめて考えてたときかもしれません。
また、誰かをジャッジしたり、ジャッジされることに振り回される場面というものも人生の色々な場面で起こります。
しかし、それは誰かが好き勝手に決めたことで、大事なのは自分がどう思うかではないでしょうか。
先日掲載しました、記事には自分軸を持つことについて書きました。
よろしければこちらも読んでみてください。
わたしたちは、いろいろな場面で答えのないことに向き合っていくことが求められます。
その時にエネルギーを注いでも時間をかけても、答えが見つからないことがあります。
生きていくために「答えのない問い」という存在を前提として知っておくと楽になると思います。
答えがなくても良い、一番はあなた自身が楽であることが重要です。
そのために、答えのないままの状態でいることも選んでいけるようになっていってほしいと願います。
スガカオル
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