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自分のものさし

スガカオルです。

毎回、名乗ります(笑)
初めてこちらに来てくれた人にも、覚えてくれたら嬉しいです。
なので毎回うざいと思いますが名乗ります(笑)

今日はこんなツイートをしました。

誰かと比べてしまうことってありますよね。
会社の同僚が自分より業績を作っている時には思わず焦ってしまったりしませんか?

友達が結婚をしたときにまだ彼氏もいない自分をダメな奴だと決め込んで焦って婚活に走り出したり。

これらは全て他人と比べ、本当の自分の気持ちを無視した結果です。

ではどうすれば自分の気持ちを優先して、他人と比べずに済むのでしょうか?
そんなことを考えていこうと思います。

自分との比較をする

他人と比べてしまうことは辛い結果しか生まない、というのが持論です。
誰かと比較することはドストレートに言ってしまえば時間の無駄だし、メンタルを不安定にする原因にしかなりません。

ならばどうすれば良いかというと、ツイートにあるように過去の自分と比較すること。

成長という言葉があるように、人は多かれ少なかれ変化します。
確かに人には細かく見ると、ひとは良いときもあれば悪いときもあります。

過去の自分と比較することで、自分が成長していることが明確になります。


自分との比較の必要性とは?

よく精神の成長は螺旋階段のように同じところを通りながら、徐々に上がっていくと言われます。
良いときも悪いときも経験しながら、螺旋階段を上がっているというふうに成長していけるということです。

それは自分しか経験できないこと。
他人の人生を歩いているわけではありません。

つまり自分軸で生きていっていいんだという感覚が大事だと考えます。
他の人がどうであれ、私の人生は私しか経験できないのです。

他の人と比べると、必ずと言って自己卑下に陥ります。
また、人と比べることで優越感を感じて、現実を見失うことが多々あります。

あなたはどんな人生を送りたいですか?

私は私の人生を送っていきたい。
誰の基準にも当てはまらない私だけのものさしを持って。

私の失敗談

以前、会社で働いていた頃に陥った他人と比べて失敗した話をひとつ。
障害者雇用で実習を受けた会社で採用されたときの話です。

採用されて、実習生ではなくなった私はひとりの社会人として、会社人になろうとしました。
会社の他の人のようにやれることをやっていきたいという理想という妄想を抱き、身の丈に合わないで過剰適応しました。

会社からの評価を気にしていたのです。
会社はそんなことを求めていたわけでもないのに、です。

周りの人は健常者で会社に長く務めている先輩しかいないのに、私はその人たちのようになろうと必死で空回りしました。

今思えば、何やってんだよって突っ込みたくなりますが、当時は必死でした。
当時の私は、実習のときの経験を見失っていたのです。

実習を経て、私の持ち味を採用してくれた会社は他の人と同じことを私に求めていたわけではありません。
私にしかできないことを求めていました。

なのに自分から他人軸を使って、過剰適応していた私は自らの持ち味を投げ捨てていたのです。
他人軸で物事を見て、他人になろうとしていたのです。

幸いにして、障害者雇用の支援者の人に、「自分のものさしで仕事をしよう」と修正してもらえました。

そのときには完全に自分が他人軸で仕事していたことには気づけませんでした。
他人軸になればなるほど、自分を見失うという苦い経験をしたのです。

自分のものさしで行動していこう!

健常者の先輩たちと勝負してどうすんだよと突っ込みたくなりますが、今の私は私自身のやれることをやる、というシンプルなプランに変更できました。
それが例え、人と違くても以前の私より楽しくやれています。

自分はひとりきりです。
他人がわたしの人生を引き受けてくれるわけでもありません。

なのに、他人と共生しているからか、他人の評価や行動を気にしてしまいがちになります。

他人軸でいるときほど、自分を見失いがちです。
だからこそ、常に“自分のものさし”を意識して持ち続ける必要性があります。

常に自分のものさしを持っていれば、判断基準は自分軸でいられます。
過去の自分より何となくレベルアップしたんじゃないか?っていう感覚になれたら、それは過去の自分よりも自分らしく生きて成長できたという意味です。

自分だけが自分のものさしを持っています。
他人のものさしで物事を判断せず、自分のものさしで人生を歩んでいくことが大切です。


あなたは自分の人生を歩いていますか?
誰かの判断基準や評価を気にしていませんか?

自分のものさしを常に持って成長していきたいものです。


スガカオル


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