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わたしがなりたい自分の姿

スガカオルです。
わたしは長い間、多くの物に囲まれて生きています。
今もあまり物が減らせていませんが、それには理由がありました。

ひとつは物が買えなかった時代があったことで、物があるということで不安を埋めていたことです。
もう一つは自分というものが分からないということからどんな自分でいたいのか、分からなかったのです。

自分が常に同じ状態という「自己同一性」を失っている状態は今もあります。
時に自分が自分でないという解離性障害特有の感覚があるので不思議ではないことです。

しかし、空間は有限です。
物に埋もれてしまってはより良い生活を送れているとはいえません。

そこでわたしはなりたい自分というものを設定しました。
それは部屋の中だけに留まらず、多くのことを設定する必要性があることに気がつきます。

今日はわたしがなりたい自分を設定していったプロセスについてお話しします。

わたしはわたしを知らなかった

母親はわたしにとって怖い存在でした。

何かを言っても否定され、時には居ないものとされ、存在を否定されているかのように感じていました。

反対に父は愛情を込めていましたが、やや過干渉で間違ってしまわないようにと、見えないレールを用意する存在でした。

ピアノをやりたいなと言えば「エレクトーンのほうが色々な音が出て楽しめるんじゃないか?」と別の提案をしてきます(笑)

聞こえは良いですが、自分のやりたいことや興味があることに挑戦させてくれることは少なかったように振り返ります。

また、裁縫が得意な母はわたしに多くの服を作ってくれました。
ひとつひとつ作られた服はわたしだけの洋服で、とても嬉しかったことを覚えています。

確かに手間暇かけて作ってくれた服ではありましたが、母が作りたかっただけでわたしが着たい服ではありませんでした。

わたしは常に与えられた服しか着てこなかったのです。

わたしは周りからどう見られるかについて思春期の頃から悩んでいました。
思春期の頃から過呼吸を起こし、ストレス性のぜんそくを起こし、家庭内の急激な変化に追いつけずに不安を抱えていました。

周りは楽しそうに学校生活を楽しみながら思春期特有のありふれた悩みを抱えるごく普通の同級生たちばかり。

彼らと同じように普通でいることさえできないわたしは、普通でいるように振る舞い、自分を取り繕いました。

長い間、わたしはどんな自分でいたいかを抑圧していました。
なりたい自分というものが分からない状態でした。

一番覚えているのは高校の進路希望の用紙を出すことがクラスで一番遅かったことです。
わたしは行きたい学校すら決められない、自分の未来を描けませんでした。

進路はどんな自分になりたいかを決めていくことのひとつです。
それにつまづいたのは高校の3年生になる前にも同じことが起きました。

わたしは常にどんな自分になりたいのかを見失い続けました。

生きていく中で、どんな服を着たら良いか、どんな髪型でいたいのか、それすらわかりませんでした。

20代は何度も服のジャンルを変えた時期でした。
カジュアルなデニムにTシャツ姿の時もあれば、アジアンテイストの民族衣装の時期もあり、まるでビジュアル系バンドのようなシャツにネクタイをしたり。

コロコロと自分の姿を変えておきながら、どれも自分らしさではなかったなぁと振り返ります。

自分を設定することで生きやすくなる

部屋も混沌としていたわたしの本棚には多数のジャンルの本が陳列されていました。
まるでミニマムな図書館のようで様々な本がありました。

本はなりたい自分の投影であると気付いた時、自分像が定まっていないことに気づきます。

見渡してみると部屋には多くの物たちで埋められていました。

やってみたいけど一度も手をつけていない手芸材料や、やってみたいと集めた一度きりの趣味の品、ここ何年は着ていない服。

それらはわたしが気に入っている物ではありませんでした。
もったいないけどまだ使える物ばかりで、使いたいものや着たい服ではありませんでした。

そこで自分に問いかけます。

「わたしがなりたい自分ってなんだ?」

この問いには多くの要素がありました。

「わたしがやりたい仕事はなんだ?」
「ホントはどんなスキルを身につけたいの?」
「ホントはどんな服を着ていたい?」

それらを紙に書いていきました。
自分というものを知らずにいたので、自分というキャラクターを設定することから始めました。

どんな装備を持ち、道具は何を持ち、何をスキルとしていくのか?
まるで始めたばかりのFFのキャラクターを選ぶかのように、自分を設定しました。

自分の部屋はどんな空間にしたいか、どんな気持ちで過ごしたいかに視点を置きカラーセラピーから選んで行きました。

そこから物の不必要なものは友人にあげたり不用品買取に出したり、高くすぐに売れそうな物はフリマアプリに出しました。

断捨離という言葉が流行ってから数年が経過し、ミニマリストという言葉が流行り、重い腰をようやく上げて片付け出していったのです。

それはときめくことでもなく、手放すことでもなく、何もない自分を設定することから始めたのです。

人生は自ら喜びを見出すこと

生活の中で多くのことに判断を迫られる場面があります。
その多くはどれが最適解かを選ぶことではありません。

わたしは思春期の頃から既に「今あることから喜びを見出すこと」だということを学んでいたのです。

高校の時、あるお寺の住職をしていた教師から「知足」という言葉を教えていただきました。

当時のわたしやそれぞれの家庭の事情を抱えていた友人たちは満たされない心を持ち、不条理な状況に満足できず不安しか抱えていませんでした。
先生はそんな私たちに向けて教えてくださいました。

思春期の刹那的な瞬間を生きていたわたしたちはその言葉に満足できませんでした。

しかし、今なら言葉の意味も身につけていくことができそうです。

すでにわたしたちは多くの資源に満ちています。
経験を通して出会った人たちや知識、その場面の光景、様々な感覚たちは今ある自分の中にある喜びです。

その中から自分の喜ぶことを取り入れていくことが、なりたい自分になることだと考えています。
本当になりたい自分はもうすでに自分の中にあるかもしれない、そう思えば欲張ることなく満たされていけます。

今ある関係性に感謝して、欲張ることなく謙虚に生きていきたい。
そして今持っていることを最大限に活かすことこそ、自分がなれるなりたい自分なのだと思います。

あなたがなりたい自分はすでにあなたの中にあるのかもしれません。
ちょっとだけ立ち止まってみて、あなたの中にある喜びに目を向けてみませんか?

スガカオル

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