見出し画像

解離性障害と境界性パーソナリティ障害の違い

スガカオルです。

診察のときに、こんな話をしました。
初診のときを振り返り、主治医はこう思ったそうです。

「こんな展開になるとは思ってもいなかった。解離だと分からなかった。これからボーダーになっていくのかなぁって思った。」

あれから、20年近くの歳月が過ぎ、わたしは解離性障害と診断されました。

解離性障害と境界性パーソナリティ障害は見分けが難しいゆえに、イコールとされることがあります。
同じところもありますが、確かな違いもあります。

周りの境界性パーソナリティ障害の方を見ていても違うと感じます。

今日は境界性パーソナリティ障害と解離性障害を比べながら考察していきたいと思います。

境界性パーソナリティ障害も解離するし同じところはある

境界性パーソナリティ障害も解離が症状としてあります。
ただし境界性パーソナリティ障害の解離は一過性です。

慢性的な解離症状ではありません。

解離性障害の人にも見捨てられ不安はあります。
わたしの場合、見捨てられたというトラウマというのがしっくりくる表現です。

誰かに見捨てられると思うと過呼吸を起こしそうになることは今でもあります。

自己同一性の欠如というのも、境界性パーソナリティ障害も解離性障害もある共通点です。
境界性パーソナリティ障害の場合、不安定な自己像と表現されるように、自分らしさが分からないといった特徴があります。

強い怒りを持っていることも解離性障害も境界性パーソナリティ障害もあるように思います。
しかし、解離性障害の場合は切り離された別人格が怒りを持つパターンが多く、直接に爆発させることは少ないように感じます。

このように少し考察しただけでも共通点は多く見られます。

では、境界性パーソナリティ障害と解離性障害の違い何なのでしょうか?

解離性障害と境界性パーソナリティ障害の違うところ

解離性障害、境界性パーソナリティ障害のどちらも怒りを持っていることはお話ししました。
境界性パーソナリティ障害の場合は強い怒りをコントロールできずに爆発させて、人間関係を破綻させてしまいます。

しかし、解離性障害の場合には怒りを我慢する傾向があるように思うのです。
我慢できる代わりに解離して、怒りを表現しているように思います。

また解離性障害は怒りに対して相手をこき下ろすことは少なく感じます。
なぜならば怒りは自分にとって不都合な結果となることを経験しているので、相手をこき下ろすよりもその怒りを飲み込むことが多いからです。
感情を抑圧するというのは解離性障害の特徴です。
その結果が症状となり、解離へと向かうのです。

男性依存になる境界性パーソナリティ障害は多いですが、解離性障害の場合には見捨てられ不安からしがみつくことはあまりないように思います。

解離性障害の人の中には性被害などを経験している方も多くいます。
同時に男性恐怖と男性への愛着という葛藤を抱えている方も多く、この相反する感情こそが解離している状態と言えます。

境界性パーソナリティ障害の場合には依存する時は依存へと向かい、嫌になればこき下ろすことで関係を悪化させるように、同時にその感情を持っておりません。
あくまでも両極端を揺れ動くように、感情の振り幅が大きいことが特徴的です。

素人のわたしが考察するだけでもこのように違いがあります。
あくまでも素人の主観的な考察ですので、これは違うという考え方もあるかと思います。

しかし、わたしは生粋の境界性パーソナリティ障害ではありません。
解離性障害として他の境界性パーソナリティ障害を見ていると、同じように捉えられることに疑問を持っています。

あまりにも違いがあるということが顕著に見られるからです。

どちらもつらい、それはどの病気でも同じ

これまで解離性障害と境界性パーソナリティ障害の共通点と違いについての考察をお話ししました。
どちらが良いとか、どちらが重症とか、そういう話をしているわけではないことを明記しておきます。

病気の重さや違いはあり、それは同じ病気の中でも症状に違いがあります。
それは主観的な苦痛であり、人と比べて自分の苦痛を測ることはできません。

精神障害を持つということは健常者よりも苦痛が生じることではあるのは確かで、健常者にも理解が難しいことを他の疾患の方が理解することもまた難しいことです。
同じ病気の方でも理解をすることは難しい場面もあります。

わたしたちは生活する中で苦痛やつらさの度合いを比べる必要はありません。それよりも人それぞれの苦痛やつらさを共感することが大切だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?