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解離人格の説明書

スガカオルです。

今日はわたしの解離人格について。
解離というものはなかなか難しい構造をしています。

自分が耐えられない出来事に対し自分が体験していることではないとして、自分の中に別人格を作ることがあります。

解離性同一性障害が以前は多重人格障害と呼ばれていた所以です。

解離性障害のわたしには別人格がいます。
しかし、解離性同一性障害とは違います。

私の中でどんなことが起きているのか、ざっくりとご紹介します。

脳内会議室は現場で起きている!

わたしの書類上の診断名は統合失調症です。
初診の頃から幻聴がありました。

かつては幻聴に行動を支配されて、警察にお世話になったこともありました。

幻聴は今でもあります。
頭の中でいろいろな人たちが好き勝手に話しています。
この記事を書いている今も。

これをわたしは「脳内会議」と呼んでいます。
話している人物はすべて「わたし」です。
特に人格たちに名前はありません。

多くの解離性同一性障害の方に会うと人格たちに名前があるようです。

私には人格達の名前がありませんが、それぞれ特徴というか担当があります。

「怒りの人」や「理性の人」「幼い子ども」そんな人たちすべてがわたし自身と思っています。
過去の自分だったり、自分が出せない感情などを「わたし」の以外の「わたしたち」が担当してくれています。

彼らは円卓に集まり、あーだこーだ意見や考えを言っています。
脳内会議室は私の頭の中にある円卓で、彼らは好き勝手に出入りしては会議を開いています。

「わたし」が疲れているとき、彼らはより元気に主張するのです。
彼らがうるさいな、と感じることがひとつの疲れのバロメーターです。

彼らを排除するつもりはありません。
彼らは愛しきわたしの分身たちなのですから。

単身用マンションのわたし

私の頭の中を表現するならば単身用マンションです。

「管理人」という人格がいて、「わたし」自身もそこの住人です。

ワンルームの各部屋にはそれぞれ人格たちが住んでいます。

会議室は管理人室に併設されていて、管理人がその行方を見守っています。

「わたし」は疲れると「管理人」を頼ったり自分の部屋に戻ります。
そうして、「理性の人」や「管理人」が出たりいて人格が交代します。

しかし、単身用マンション一棟で「わたし」自身なのです。
「わたし」の記憶を共有したり、時には眠っているときに動き出すこともありますが、責任を取るのは「わたし」です。

解離性障害として生きるわたし(たち)

わたしの中には複数の「わたし」がいます。
それが「わたし」です。

私は単身用マンションとして、いくつもの人格たちと共に生きています。
それはある側面といえばそうなのかもしれません。

しかし、自分の記憶の無い時間に把握できていないことがあるというのは無責任で苦痛となります。
そういう意味で障害といえます。

それでも「わたし」たちは生きていかねばなりません。
解離性障害としてのわたしがより良い「わたし」を目指す旅なのかもしれません。

Bestではなく、Betterな人生でいいのかな?と思っています。

「わたし」たちは解離性障害としてBetterに生きていきたいと願っています。
欲張ることなく、謙虚に生きていければよりBetterかな?


スガカオル

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