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それ、専用の友達

それはむかしむかし
ずっと友達が少ないのがコンプレックスでした。

コミュニケーションが苦手で、広く交友関係を持つ人に憧れがありました。自分は内向的てすが、自分と仲が良い方々はみな外交的で交友関係が広いのです。

友達は少ないですが決して浅い仲ではなく、私の友達の系統はいわゆる“狭く深く”
それでもその少ない友達にイライラしたり、もう絶交!なんて思う時もあったりするんです。

昔はそのことでよく悩み、傷つきました。あの子は他の子とよく遊んでいて、私は数ある友達の1人に過ぎないのだと。それでもあんなに交友関係の広い友達は「あなたは1番私と仲がいいんだ」と言うんです。

それが信じられなくて、コンプレックスは深まるばかりでした。

そんな友達と環境が離れることになり、新しく深い関係になる友達が現れます。

新しい友達もまた、外向的で交友関係が広い方でした。

それから私はその方を大切にしながらも、離れた友達とはよく連絡をとり、今までと同じように色々な場所へ出かけ、色々な話をしていました。


それでふと、私はそれぞれの方に対し
「一番の友達だ!」
と思っていることに気がついたんです。それぞれは、全く違う環境の友達ということもあるけど、それぞれ全く別に大好きな友達だと思っているんです。

なぜだか分からないけど、昔の自分には大切なものは1つでないといけないという思い込みがあったんです。今思うとそれはまさに依存だったと思います。


そんな大切な友達でも、話せないことはあります。


自分のことを昔から知っている友達には旧友やお互いの兄弟、恋愛の話を浅い所から深いところまで。
新しい友達とは好きな漫画や現実的な将来の話。
創作を通じて親しくなった友達には自分の夢についてや親の話。


それぞれ、話せることが違うんです。例えばこの話していることをシャッフルして話してみても、否定するような友達ではなくて。
それでも話しずらいことはそれぞれの友達で違っているんです。

こんな話、昔からしっかり対人関係をやってきた人にはイミワカラナイ話かもしれないですね笑
だって今思えば、最初に登場した友達は昔の頃からそれを分かっていたんですから。



いくら大切に思っていて信頼していても、話せないことがある。このことにもう〜んと悩みふわふわと宙に浮いているようでした。

そんな仲数ヶ月ぶりに友達に会って、色んな所へ遊びに行って、また沢山の話をしました。その流れの中で

「おじいちゃんになっても仲良くしようよ」

って言われたんです。親友だしこれから先もずっと連絡とって生きていくんだろうと思っていた相手だとしても、いくらなんでもそんな事を面と向かって言われたのは初めてで、喉の奥がキュッとした感覚がありました。ふわっとした理想がお互いに疎通出来た瞬間だったんです。

相手も自分を大切に思ってくれていて、これからも生涯仲良くしていきたいんだと思ってくれている。
この時、いままでのふわふわした感覚がはじめてカタチになって考えにハマったんです。

全てを話すことが必ずしも大切ではなくて、だって私はその人に話せていないことがまだまだ沢山ありますから。それでも、大切だと思ってくれている。

それぞれの友達は私の異なる穴を埋める人たちなんです。

友達らはそれぞれ別に「1番大切な友達」で、それは 私のこのことについて話せる ジャンルの違う友達という感覚なんです。これが、「それ専用の友達」と言うヤツなんです。

もちろん、何から何まであけすけに話せる友達がいるという人もいて、それはそれでいいんです。でも、なにもかもを話そうとしなくていい。

だってそれぞれの友達は本当に大好きな、一番の親友なんです。それでいいんじゃない?過去の自分にはこう言ってあげたい。そしてこの意思疎通が出来ていたら、なんて幸せなことなんだろうと思います。

老人になっても、最近あった他愛のない話・昔話をする。これを夢として、今いる数少ない友達を大切にして生きていきたいです。

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