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デザインド・リアリティ〈有元典文・岡部大介 著〉大学横断読書会の開催

【増補版】デザインド・リアリティー集合的達成の心理学〈有元典文・岡部大介 著〉北樹出版の大学横断読書会を開催しました。

こんなことから読書会は始まりました

2018年度センター試験国語に出題された有名な書籍です。このような読書会が開催されたのは、twitterでのひょんなきっかけです。東海大学富田先生がこんなtweetをしました。

すると、まさかの著者ご本人の横浜国立大学有元先生からのリプライがありました。

そして、もう一人の著者、東京都市大学岡部先生からのリプライがあり、専修大学上平先生、国士舘大学郡司先生、そして私からとどんどん参集していきました。

開催は2021年12月8日13:00~14:30に決定

そして本日、オンライン上で開催されました。

参加大学一覧

【著者】横浜国立大学 有元典文研究室
【著者】東京都市大学 岡部大介研究室
専修大学 上平崇仁研究室
東海大学 富田誠研究室
国士舘大学 郡司菜津美研究室
静岡福祉大学 菅井篤研究室
ゲスト デザイナー 野々山正章氏

世の中は因果?それとも縁起?

因果律と縁起から、対話は始まりました。

世の中には、原因と結果に大きな期待がある。しかしながら、因果では説明しきれないことが多くある。それでも、結果を求められたらどうしたらよいのか。

例えば、企業戦略に有名デザイナーが関わったら「結果が伴う」と企業は期待するから、専門家であるデザイナーのアドバイスを求める。しかし、それによって得られた結果は、因果律で説明し得るのか。もし、期待外れの結果となったら、デザイナーの関わりという原因をどう解釈できるのか。

そのようなプロセスは因果よりも縁起で説得的に説明できるのではないだろうか。

そして、このように話は続きます。

デザインの功罪

メインエフェクトとサイドエフェクト

人々は長い歴史の中で、さまざまなデザインを試みてきた。そしてより良い文化と社会を手に入れてきた。一度、その前提を覆してみたらどうなるか。

・食肉を長期保存するために、塩漬けにしてみた。すると、長期保存できるようになったが、塩分による高血圧症などの健康的な問題が増加した。

・文字によって、さまざまな記録をすることができるようになったが、読み書きの課題が浮かび上がった。

・教育によって、本当に人はより良い世の中を手に入れられるのか。いじめ、自殺の問題をどう解決できるのか。

などなど。

人間を幸せにするデザイン

ここで、「人間を幸せにするデザインとは、どんなデザインなのだろうか、と学生フロアに問いかけました。

学生はさまざまに議論した。私も、他大学の2人の学生の議論に参加した。学生はドローンの例を挙げた。

ドローンは、限界集落など、食糧調達が難しい地域にも、なんでも容易に配達できるようになったが、一方で、配達するために森林を伐採する例があったり、動物を驚かしてしまう例があったりする。

このように考えると、自然環境を脅かすドローンの発達は、幸せではないとも捉えられるが、別の学生はこうとも言う。

「幸せは一つの側面であり、別の側面からも考えられる。さまざまな幸せの形があるから、同一の幸せを得るデザインはないかもしれないが、人の幸せを脅かしてはいけない。」

なるほど。

心がけなし魂:Unprepared Mind

「アンプリペアードマインド(準備しない心)」という意の言葉について、話すことになりました。

人は日常において、さまざまに準備をする。しかし、その準備は、先の「因果律」にも通ずる何らかの意図や企てがあるからだ。準備したものを披露するだけでは、もったいない。他との関係が縁となって生起すると考えるためには、アンプリペアードマインドの構えが鍵となる。

大学教育では昨今、アクティブ・ラーニングなど、学生が主体的に学びを展開する手法がとられている。これは、アンプリペーアー(準備しない)との関連も指摘できそうだが、実際はどうか、と再び学生フロアに投げかけられる。

ああ、なるほど、私は今までアクティブ・ラーニングで、アンプリペーアー(準備しない)をプリペアー(準備)していたのか、とここで気づかされる。こうやって人と対話することは、やはり素晴らしいと実感する。

アクティブ・ラーニングへの学生の率直な声

ゼロから始まる学習へのリスクとプリペアーの質を可視化される授業デザイン

ここで再び、私は学生の議論に参加しようとしました。

オンライン上のフロアの一番端っこで、ひっそり議論している学生グループを見つけ、勝手に参加した。しかし、私の参加前から議論が盛り上がっており、私は、耳を傾けるだけにした。どうやら、同じ大学の学生が集まり、授業形態について意見を述べ合っているようだ。

学生たちは、こう続ける。

「アクティブ・ラーニングでも、準備しないとできない課題は辛い。授業では、準備した学生だけが上手くやるから。」
「○○先生の授業は、ゼロから作るって感じで、楽しい。みんなで一緒にスタートするような感じ。」

なるほど、教育は、何かを操作的に定義し、可視化していくことを試みる。例えば、学力が最もわかりやすい。テストをすることで、教員は児童生徒学生の能力差を可視化する。

アクティブ・ラーニングでも、何らかの可視化を企図すると、従来型の授業形式と何ら変わりないのだとここで私は考えた。学生らの挙げるように「準備をどれくらいしたか」が可視化される授業デザインでは、準備できていない学生は居心地が悪い。

長く小学校現場で教えてきた私は「準備できていないのだから可視化されて当たり前」というような考え方を持つ教員に多く出会ってきたような(?)気がする。「できていないことを指摘し、わからせてあげること」で「できないことを克服できること」が教育だと考えている人もいるかもしれない。しかしながら、人の営みは、因果律では説明しきれない複雑な側面が多い。その複雑性を因果律で説明し得るのは、やはり甚だ難しい。

このように考えると。アクティブ・ラーニングも縁起的な側面から眺めた方が、よいのだろう。

【学生からの質問】教員として心掛けていることは何か?

顧客満足度と顧客間満足度

ある学生から、質疑応答時にでた質問です。

「先の見えない複雑性は予想不可能だから、直後の満足度が大事。そう、顧客満足度かな。」
「人の変化を結果としてとらえるのは難しいから、顧客間満足度じゃない?」
「いいね、顧客間満足度。」

このような議論で教員たちが応えた場面があった。人との間を満足させる、つまり、関係を満たすこと、これは人が生きていく上で最も「人間を幸せにするデザイン」の一つだろうと、私は考える。

最後に

どこかの議論の流れで「出来る大学教員は、いつも暇なふりをする」と話があった。

忙しい顔をせずに、これからも生きていきたい。

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