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15時。多分、同じ場所。

鬼門がある。

よく善良な友達に話を聞いてもらった場所。

温かい飲み物が冷めてカップの底に跡が見えるまで、冷たい氷が溶けきりグラスに汗を流し終えるまで。随分長いこと投げやりで取り留めもない話をしていた。結論はいつも出なくて、ため息だけを吐き散らし、相手を困らせ、それでもなんとなく慰められたっけ。

大抵の話は、口から発せられた時点で役目を終える。

今日は、その言葉を拾いに来たわけでも、戦いを挑みに来たわけでもなく、ただ便利だから、きた。

そんな風に、かつて、元夫と関わり尽くし、近くにきただけで、過呼吸を起こした場所に、書類抱えてできるはずのない仕事を持ち込んで、息子を見送りにきたついで。便利だから。都合がよいから。

至って普通の感覚に寧ろ感動すらした。

物凄い進歩。

当然だ。

私は直、性懲りもなく再婚する。


駅の喫茶店も改装され、その後は更にコロナ対策でシートやシールドが引かれている。

越えられなかったものを、そうやって、いとも容易く時代は飛び越える。

だから、私もくっついて、跳ぶ。

コーヒーは底にこびりつき、息子は年金やら奨学金の振替手続きを終え、新しいtattooをまた入れに行った。手の甲だけはきついぞ、と脅したがまあ、聞かない。

好きにしろ。その代わり全ては自分の責任だからな。

明らかに社会で不利になるような場所にわざわざ入れなくても、とかは黙っといた。スマホを持たせといて使うなという親みたいだし。

腕に、ふくらはぎに、胸に広がるtattooを見ながら、私が守り抜いてきたこの子は私のものではないと気づいていった。見えなければよいではなく、見せたいから入れる主義主張。形。場所はあまり関係ない。

でもさ、だから、特別なんじゃね。

あの子をよく連れ出してここにきた。手を引かなければ歩けなかった、ちっちゃなお手て。


バイバーイ、とか、バカでかい手で、止めろ。


やはり、ここは鬼門。


駅の某所にて。

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