IDEAという名の幻影~現代音楽思想~1「はじめに」

まえがき

僕は一応合唱指揮者をやっている。
僕は音大を出たわけでもなければ、非常に優れた音楽的な才能に恵まれたわけでもない。僕が持ちうるのは『IDEA』という一種の”音楽的思想”とその思想を形にしようとする熱量だけである。

今回から始めるこの連載記事では『IDEA』に関する誤解を解くとともに、この僕の持つ思想がどのようなものであるのかを紹介していく。
間違ってもこれは僕の考えであって他人にこれを強要する意思はない。
ただただ知ってほしいという一心でこの記事を書いていく。

はじめに

『IDEA』は僕の持つ現代音楽に対する思想である。ここでいう現代音楽は一般に呼ばれる現代音楽とは異なり、多少定義が広い。ここでの現代音楽はグレゴリオ聖歌に始まる西洋音楽の正当な系譜にあり現代に演奏される音楽全般を指す。すなわちこの場で現代音楽はルネサンス音楽やバロック音楽さえも含める。

『IDEA』は「イデア」と読むが、これは古代ギリシャの哲学者プラトンが述べた『イデア』のことではない。確かに僕はその思想の影響を受けているが、これから述べる『IDEA』は音楽に関する思想であって、プラトンが述べた思想とは関係がないし、これら2つに関係性を見いだすことは難しいだろう。僕はただその『イデア』というプラトンが生み出した概念を引用しているのみである。

さて、これから先『IDEAという名の幻影』というタイトルでいくつもの記事を出していく予定だが、それらの記事は各々で独立しており、ある記事だけを読むこともできるようになっている。
だがしかし、それら記事は確かに共通した目的を持っている。それはすなわち『IDEA』という思想を浮き彫りにするという目的である。よって記事を読めば読むほどに『IDEA』という一種のイデオロギーの解像度が上がっていくように感じられると思う。好きなようにこれらの記事群を読んでいただきたい。

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