IDEAという名の幻影~現代音楽思想~2「美術と芸術」

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美術と芸術

美学(Aesthetics)と芸術哲学(The philosophy of art)は18世紀に同時発生的に生まれた。思うにこれは芸術的作品が単に美しいものを示すものではなくなったことを意味しているのではないだろうか。

ヘーゲル美学が書かれた時代『美』にはある種の正しさがあった。それはアカデミーの規定した『美』であり、その『美』を模倣した作品を芸術と呼んでいた。美的性質を備えているということが、芸術であるための必要十分な条件であるというナンセンスな芸術定義も、この時代においてはあながち間違いではなかったのかもしれない。

ヘーゲルのいう美学では美を一元的なものであると捉える。『美』と『醜』は対立構造にあるわけではなく『醜』は『美』の欠損であるというのだ。すなわち『醜』は『美』という概念の中に内包されているというわけである。

ヘーゲルは『美』(ここでいう『美』はアカデミーの規定した正解のある『美』)を表すための術(わざ)は過去にすでに尽くされている。したがって芸術はこれから衰退していくしかないと結論ずけている。これが有名な芸術終焉論である。

この『美』を表す術(わざ)は尽くされているという言及を認めた上で、僕はこの術を芸術ではなく美術、すなわち美を模倣するために生まれた術(すべ)として定義したい。以降この記事群で美術という言葉はこの定義による意味を持つこととする。この術は18世紀以降に生まれた(僕が定義するところの)芸術を作るための道具として用いられているが、しかし、これ自体は(確かに芸術的ではあるが)芸術ではないとしたい。これによるならば芸術終焉論は美術終焉論と言った方が適切である。これは道具の完成を意味し、それは芸術の起源でもあると言えるのではないだろうか。

これにより芸術は誕生した。人々は『美』以外のものをもモチーフに、しかし美術を用いて、新たに作品を生み出していったのである。

さて以上のことを踏まえて、この記事群においてこれ以降、芸術は18世紀以降の作品群をさすこととし、美術と芸術は完全に分けて考えていく。
なお芸術に関する明確な定義は別の記事において語ることとする。

まとめ

美術:18世紀以前のアカデミーにとっての『美』を模倣する術(すべ)
18世紀をもって一応の完成を迎えている。注意として18世紀以降『美』を拡張していく術(例えば印象派の触筆分割など)を用いた作品が現れるが、この『美』はアカデミーの権威の失墜によって『美』に明確な正解がなくなってしまったことに起因している、すなわちそのような作品群は芸術に分類される。あくまで美術は”アカデミーにとっての”『美』を”模倣”するための術である。

芸術:芸術に関する定義は複雑極まりないので、現時点では美術の完成以降の芸術的な作品を芸術と呼ぶこととする。

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