芸術家になるには

はじめに

僕はしがない芸術家である。
僕はまだこれといった作品を世に披露してはいない。
それでも僕は芸術家である。

芸術作品を生み出していないのに芸術家と名乗ることは果たして正しいのか。
という意見に対して僕はこう反論したい。
それでは芸術作品を生み出せば芸術家たりうるのだろうか。
例えば僕が、五線譜の上にペンキを塗りたくり
「演奏者はこの色彩から連想する音を演奏すること」
と注をつけた作品を世に提示したならば、僕は芸術家になるのだろうか。
なんとも難しい。
もちろんこの反論は詭弁家の反論であって、反論にはなっていないのだが
しかし、芸術作品を生みだすもの=芸術家ではないことは伝わるだろう。
もしそうなら誰もが、幼稚園児でさえも、芸術家であると言えてしまう。

さて
この場は僕の主観でモノを言う場であるから
予期される反論にいちいち反論する必要もないような気がしてきた。
もう芸術家とはなんなのか言ってしまおうか。

ここまで芸術家という言葉を使ってきたけれど
芸術家には複数のタイプが存在する。
本来まとめて定義してはいけないと思うのだけれど
僕の敬愛するアドルノも芸術は定義不能なものと述べていたし
仕方のないことなのかもしれない。

今回は現代において芸術家と呼ばれている存在を3タイプに分けた。
第一に美学の探求者
第二に芸術の研究者
第三に哲学の表現者
である。

直感的に理解してもらうには絵で説明するのがベストな気がする。
うん、今回は絵画を紹介しながら解説しよう。

美学の探求者

画像1

この絵はモネのものである。
おそらくこの分類に属する者の作品は
誰が見ても芸術っぽいと感じることだろう。
世間一般的に認知されている芸術はこれなんじゃないだろうか。

このタイプの芸術家は自らの『美意識』を重視する。

この絵も「自分にとって」はこれが美しい。
という主張を感じる。

他者とは異なる自分の『美意識』を
確かなエネルギーを伴って世界に表出させる。
そしてその『美意識』が一般美を拡張した時
それは芸術となる。

すなわち、一般美とは異なる自分だけの『美意識』
それを持つ者こそ美学の探求者たる芸術家である。
またこのタイプの芸術家は生まれ持っての感性が重要なため
往往にして彼らは天才と呼ばれる。

芸術の研究者

画像2

これは初めて絵画を切り裂いた作品であり
1億円以上の価格がつけられている。
この絵は初めて絵画を切り裂いたという点で評価されている。
他にも今まで試されたことのない方法で描かれた絵なども評価される。

俗に「現代アート」と呼ばれ
大衆に「よくわからない」と言われることが多い。
あまりにニッチが過ぎると、芸術の拡張という目的が達成されず
批評家と芸術家との内輪ネタのようなモノになってしまう危険がある。

このタイプの芸術は学問にとてもよく似ている。
というのも、このタイプの芸術では「今まで」の芸術を知った上で
新たな挑戦を行っていくのだ。
知の領域を拡張していく学問のように
芸術の領域を拡張していくのがこのタイプの芸術である。

先人たちが積み上げてきたモノを学び
そこに新たなモノを積もうとする芸術の探求者たる芸術家。
このタイプの芸術家はリサーチ力と発想力が求められる。
秀才的な能力を持つ者はこのタイプの芸術家になることができる。

哲学の表現者

画像3

みんな大好きバンクシー。
ここでは何が描かれているのかが重要である。
この絵は込められたメッセージによって評価されている。

このタイプの芸術はテーマが最も大切であるが
しかしテーマの押し付けにならないような魅せ方が必要になる。
テーマに関しても死生観や人生観、世界観のような個人的なもの
あるいは社会問題や政治主張など社会に対するもの
それら個人の哲学が作品を作る以前になければならない。

彼らにとってはその哲学こそが創作意欲の根源であり
彼らは作品を作ることで他人にきっかけを与える
啓蒙的な創作活動をこそ芸術活動であるとしている。

言語で伝えきれない個人の思索の結論
それを芸術に乗せることで人々に伝えようとする。
まさしく哲学の表現者としての芸術家である。

芸術家になるには

ここまで僕の考える3つのタイプの芸術家について説明してきた。
僕は3つ目のタイプの芸術家である。
僕の作品はすでに僕の中にある。
あとはこの哲学を現実世界に表出させるだけである。
まぁその作業こそが最も難解ではあるが
しかし僕はすでに芸術家であると言えると思う。

もし仮に芸術家になりたいと思う人間がいるのであれば
(僕は芸術家になるのは絶対にオススメしないが)
自分がこの3つのタイプのどこに当てはまるのか
それを考えてみると良いだろう。

技術は手段であり、技術をただ持つものは芸術家ではないし
既存の芸術を信仰し、それを模倣するものは
文化の伝達者ではあっても芸術家ではない。
理解者のない孤独の中に新たな価値を見出すことこそ
芸術家の役割であるし、その性質上
芸術家は常に孤独で、不幸である。

偉そうに芸術家の分類などしてみたが
結局のところ、芸術家になるのはそう難しいことではない。
3つの分類の中に当てはまらないような人は
おそらくどこにもいないのだから。

孤独の中でその先にある自らの理想を追い求めること
それをこそ自分の幸福であるとすることができるのであれば
今から芸術家を名乗ればいいと思う。

結論。
芸術家になることはとても簡単である。
自分は芸術家であると言ってしまえばいいのだから。
しかし芸術家であり続けることは難しい。
理解されないという孤独は誰にとっても耐え難いものであるから。

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