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一眼レフカメラについて

 一眼レフカメラというのがある。ミラーレスカメラというのがある。スマホカメラというのがある。
 自分は一眼レフカメラにお熱である。

 NikonのD7500。
 これが自分の愛する機体の名前であるが、長ったらしいのでここではただ「カメラ」とだけ呼ぶ。
 カメラは黒くて硬質で中に鏡が内蔵されている。ミラーレスカメラの様な軽やかさもスマホカメラの様なスマートさも持ち合わせてはいないが、ただ頑強で、ややもすると鈍器と同じ質量を持って自分の方にぶら下がっている。

中の鏡に景色を反射させてファインダーに映しこんでいるだけなので、覗けば完成品が見えるミラーレスカメラと違ってシャッターを切るまで作品の良し悪しが確認できない。マニュアル操作で撮影を行うので、被写体に向ければすぐさま撮影機材になるスマートフォンと違っていちいち手動で設定を行わなければならない。

 しかし、そこが良さでもある。
 Nikon社のカメラは写真に奥行きがしっかりと描写される。取り替えて画角を変更できる数万円のレンズは猫の目よろしく瞳孔を絞ったり開いたりできる。暗闇でもよく映るそのレンズを付けたカメラは無敵だ。天敵がいないので我が物顔で被写体を切り取っていく。

 先日秩父の祭りに行ってきた。 
 祭りとは往々にして夜にクライマックスを迎えるが、秩父の祭りも例にもれず20時過ぎてから佳境になった。それを見越したわけではないが、いつもの様に暗闇に強い単焦点レンズをぶら下げて行って、猫の瞳孔がニュッと細くなるのと同じようにカメラの瞳孔を絞ってやって、目につくものを手当たり次第に撮り散らかしていった。


 スマートフォンのカメラは大変に便利な代物である。
 その便利さの根源は誰でもボタン一つで瞬間的な場面を切り取ることが出来る可能な点にあるだろう。しかしその便利さというのは、時として性能の限界領域を狭める。あの小さな図体にレフ機ばりのマニュアル操作を搭載することは出来ないからだ。スマホカメラは便利さの代償に画質であるとか手ブレ補正であるとかを犠牲にして成り立っている。

 その点カメラは素晴らしい。 
 写真を撮る為だけに存在している精密機械は恐れを知らずに群衆を切り撮り、その気になれば弾丸の雨すら永遠の物にすることが出来る。永遠とは人間が追い求めたものではなかったか。自分にとってカメラとは記憶を司る脳の一部であり、まさに半身と呼んで差し支えない存在と言えるかもしれない。

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