何があっても大丈夫
こんにちは、末吉です。
僕たち人間って、どうしようもなく、変な生き物だなぁと思うことがあります。
大切に思っているひと同士が傷つけあったりするから、ホントどうしようもねぇなぁと思うこともよくあるんですけど、でも、そういうものなんですよね。
やれやれです、まったく。
僕ももちろん人間なので、できるだけ綺麗なところや、素敵なところを見てもらいたいし、そういう発信ばかりをしたいのですが、(とりあえず今のところは)それはできないみたいです。
たとえば、夫婦でいがみあったりします。
一度は永遠の愛を誓いあったはずの二人なのに、です。
なんとも言えず、切なくなります。
で、ここがまた、切ないポイントなのですが、たとえいがみあっているとしても、お互いに大切に思っていることに変わりはなかったりするんですよね。
大切だからこそ、愛しているからこそ、自分を大切にしてもらいたい、愛してもらいたいという気持ちが強くなってしまいます。
そして、お互いに愛を求めて、すれ違っていくもので、嫌いあっているから仲がよくないというわけでもなく、やっぱり切ないです。
これは、夫婦関係、男女関係に限った話ではなく、仕事上の関係もそういうところがあります。
たとえば、ある部下のことをたいへん買っていて、だからこそ、厳しくなりすぎてしまい、相手を潰してしまったり、いつの間にか関係がこじれてしまうのです。
前置きが長くなってしまいましたが、僕たち夫婦の関係でもあります。
本当は認めてほしかったり、私たちのためにがんばってくれてありがとうというひと言を言ってほしいだけだったりするんですよね。
たとえば僕も、ささいなことでケンカになって、キツい言い方をすることがあるんですが、そういうときこそほんとうは、認めてほしい、励ましてほしい、愛してもらいたい、ただそれだけだったりします。
でも、恥ずかしいから、気持ちを率直に伝えることができなくて、知らず知らずのうちに糸がこんがらがってしまう。。。
だからねぇ、やっぱり、切ないなぁ、と思ってしまうわけです。
相手に求めるでなく、自分の本当の気持ちに正直になって、できれば打ち明けたいものです。
ちなみに、あるとき僕は、怒ってしまいました。
でも、怒りもまた抑え込むだけというのはおかしい気がして、一瞬で爆発させて、謝ることも大切だと思っています。
そういうことができず、ずーっとモヤモヤイライラしたものを一人で抱え込んでいるから、気がついたときには糸がこんがらがって対応不可の状態に陥ってしまっていたりするのです。
なんかねー、なんとなく論理的な文章になっちゃったのですが、本当のほんとうに言いたいのはこういうことだったりします。
もっと素直になろうぜ
辛いときは、辛いよ
嫌なときは、嫌だ
さみしいときは、さみしい
愛してほしいときは、ねぇ、大切にして
そう言える自分でいましょう。
そういうことを言わないのが大人なんだとしたら、大人になんかならなくてもいいと思います。
お互いに正直な気持ちを伝えあって、お互いの間にある、わたしのでもあなたのでもない、答えをいっしょに探しましょう。
大丈夫、そこに愛はあるから。
末吉より
追伸
いよいよ明日です。
ご縁のあるあなたに来ていただきたいです。
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