会えても、会えなくても

年賀状、まだ出してますか?
年に一度のやり取りされる方は今年もお元気でしたか?



結婚して子どもが出来て…となると配偶者の親族友人、
子どもたちの関係先、そして私の分となると多い時で200通程出しておりました。

離婚後から半数になり、毎年少しずつ消えたやり取りもあり、今年は30通くらいしか出せませんでした。

ここまで減ってしまったのには訳がありました。
「賀状はもう出さない」と言う連絡が増えた事でした

「介護」「SNSでのやり取り」があるので、とした理由が殆ど。あと親戚で高齢になると賀状の準備もままならないとの事で「送ってくれてもいいけど返事できない」って事例もあり。

LINEやSNSで繋がる相手も余りおらず、「賀状だけの付き合い」だった人とはこの3〜4年でフェードアウトとなりました。

会えていなければもう「関係ない」としていいものか?
この先は時代的にも「SNSで」としたところで
却ってやり取りが煩雑にならないか?
悩ましい問題でした。

長らく会えていないけど、お世話になった恩師もいます。苦しい時に支えてくれた(今は遠方に住む)友人も。

大前提として「賀状」のやり取りをする相手は
実際に会って話したり、ともに何かをしてきた人たちではありますが

おひとりだけ「例外」がありまして。

出会いは私が15歳の頃ですから40年前
その人が主催していた旅行記を扱う同人誌?に友人を通じて投稿した事がきっかけでした。

実際その人には一度もお会いしたことはなく
15歳のその時から「賀状」だけを送り合う不思議な関係が続いています。
その人は写真家で現在はご実家近くで飲食店を営みつつ
写真のお仕事もされておられます。

会いに行けない距離でもなく、でも何かしら
今まで会わずにきたのでこのまま不思議な関係で居てもいいだろうかと思ったり。
その人のことをそう定義してしまうと、他の長らくやり取りを続けている人たちのことも切れなくなってしまいます。

SNSなら、やり取りなければフォロー解除やブロックで済む話なのですけどね。


賀状を認める時には、相手の顔や会話したことなど思い浮かべながら、こちらも変わらず過ごしていますよと
本当にただそれだけの言葉を追記して、相手からも同じ言葉が送られてきたり

忘れてないよ
元気でいてね

相手にそんな風に思って貰えることが(自分も同じことしてるけど)身に余る光栄だったりして。

会えても、会えなくても
そこだけ伝えておきたいので


やり取りが最後に一通だけになっても
私はやめないんでしょうねぇ。
いつかはこの「年賀状」って文化もなくなってしまうのでしょうか…

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