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大卒結局必要なさそう(人生失敗)

大抵の親御さんは仰ると思います。
「大学は出ておきなさい」と。
大抵の中高生も言われたことがあると思います。
「大学は出ておきなさい」と。

例に漏れず私もそうでした。大学なんてまだ先すぎる話だという時期から、大学の話はされていました。「大学はいかせるつもりだ、でも私立は認めない。というかお金出さないからな」と、大学のことも将来のこともお金のこともピンとこない年齢から言われてきました。
紆余曲折あって公立の大学に進学したのですが、コロナ等の諸事情によって満足した学生生活ができず、現実の悲観しかありませんでした。とはいえ、ぼんやりと大卒の重要性は年齢相応の価値観としてしっかり理解していました。暇だという理由もあったので、講義には比較的真面目に出席しゼミでも比較的優秀な成績を修め、三年次には春から就職活動に勤しみました。

でも結局、鬱病の不登校になりました。就職活動もしていませんし内定など当然ありません。今のところ卒論も書いてませんし、かといって院進する準備もしておりません。
「あぁこれが所謂大卒ニートか」と思います。
で、ある日気づいたのです。大卒ニート、もしくはニート(フリーター)期間が五年や十年もあればもはや大卒だとか関係ないよな、と。

つまり大卒認定が必要ない人生になりそうでなのです。「大学は出たほうがいい」という言葉は、『大卒があればなんとかなる』というある程度の若さと気概がある人間、人生を前提にしていますね。極端な話、22歳で大学卒業し30年間ニートで、52歳で就職を考えたとしましょう。そんな場合仮に東京大学を卒業していたとして何か価値になるのでしょうか。労働市場的には東大卒30年ニートは何か狂気を感じさせる存在ですよね。ではFラン大卒ではどうでしょう?こちらは言わずもがなではないでしょうか。

「大卒はあった方がいい」と言いますが、これは微妙に嘘で微妙に正解です。大卒が切り札になるかどうかは自分次第です。新卒採用で失敗しても、就職する強い意思があれば大卒は活きます。大卒をとってもまるで働く気がなくて就職もしないのなら大卒など必要ありません。自分の夢の為に学部卒や院卒が必要なのであれば、大卒はあった方がいいではなく必要なのです。

悲しいことに私は大卒が必要ない人生になりそうです。
叶うなら私も東大卒が光り輝く人生が良かったですね。
なんとかならないかな、人生。


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