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推しが掛け算をミスった、僕は自転車に乗れなかった

 こんにちは。丁_スエキチです。

 先日、推し声優が出演していた作品の配信を視聴しました。そのアフタートークの最中に、推しが掛け算をミスったんですよね(いきなりタイトル回収)。
 12×7を即答できなかった。そのあとたしか68とか言ってました。
 そのあと別の出演者から「84じゃない?」ってツッコミが入って、視聴している僕も「計算ニガテなんかwww そこもまた推せる」と笑っていました。(なお、推しの名誉のために推しの名と出演作品名は伏せます)

 普段であれば、簡単な掛け算ができない人間を見ると「えぇ……」って呆れたりするんですが、推しの場合は不思議なことに「それもまたよきかな」と思ってしまうんですよね。いやはや、盲信というのは恐ろしいですね。だって声がとても綺麗なんだもん……。




 果たして本当にそれでいいのでしょうか?

 推しへの盲信は別に良いんです。推しですし。

 その前段階、「普段であれば、簡単な掛け算ができない人間を見ると『えぇ……』って呆れたりする」の方です。

 そもそも僕は2桁×1桁の暗算を「簡単な計算」とみなしましたが、九九のように皆が暗記するような物ではありません。それを「簡単」と見なすのは、僕が計算を得意とするから、昔ちょっとソロバンやってたから、のような能力や経験に起因するものではないでしょうか? また、僕は2桁×2桁の暗算を「簡単な計算」とはみなしていません。僕が即答できないからです。

 つまり、僕がさっき述べた「簡単」とは、世間一般にとって「簡単」かどうかではなく、自分にとって「簡単」かどうかに左右される、ということではないでしょうか。

 更に突き詰めれば、自分の知識、能力、経験を「普通」の基準にしていないか? という問いになるでしょう。

 どうやら僕は知らない間に自分を「普通」の基準にして他人を無意識に評価し、その基準に満たなかった人に対してマイナスのレッテルを貼る、という行為をしていたようなのです。ただでさえ「普通」を基準にしてそこから弾かれた存在を馬鹿にするのはインモラルな行為であるはずなのに、あろうことか「普通」を自分本位に決定してしまうなんて! まるで世界は自分を中心に回っていると言わんばかりの傲慢さ! 自分というサンプル数n=1のデータとの比較で物事を判断しようとする浅ましさ! 改めて認識するとなかなかに恐ろしいものです。

 自分が偏った認識を持っている、ということに気づくキッカケをくれた推し、ありがとうございます!!!(盲信)



 さて、話は変わりますが、東京の住宅街で暮らしているとチビッコを見かけることがよくあります。幼稚園くらいの歳であろう子どもが地面にチョークでお絵かきしていたり、縄跳びをしていたり、自転車に乗って親と散歩(?)していたり、微笑ましい光景が見られ……え!? 自転車!? その歳で!?!? 補助輪もつけずに!?!?!? は!? やべぇガキだなこっっっっわ、体幹えげつねぇ~~~~~!!!!!!!!

 いやもうびっくりですね。僕が自転車に乗れるようになったのは小学5年生の夏ですよ。未就学児が自転車に乗るとか、運動神経のカタマリですね。こえ~~~。


 果たして本当にそうでしょうか?

 2018年に日本トイザらスが20代~50代の男女1638名を対象に行った「自転車に関する調査」の結果によると、自転車(二輪車)に乗れるようになった年齢の平均は親世代で5.7歳、子ども世代では4.9歳でした。マジ!?
 11歳でようやく乗れるようになったのは親世代でも0.4%しかいないようです。算出してないけど偏差値30台とかでしょこれ。遅い自覚はあったけどマジか……。

 要するに、未就学児が補助輪なしで自転車に乗っていることは、いたって平均的でありいたって「普通」のことなのですが、大幅に平均から外れている僕からすると、めちゃくちゃ天の才に見えてしまうのです。流石に小学5年生で自転車に乗れるようになったのは遅いという自覚はありますが、それでも「普通」は小学2年や3年程度で乗れるのだろう、と思っていました。これも、僕が自分を「普通」の基準にして物事を判断しているためにバイアスがかかっていることのひとつの証左と言えるでしょう。

まとめ

 自分が他者を評価する際に用いる「普通」の基準は、自分の知識や能力や経験といったものにめちゃくちゃ引っ張られているのではないか? というお話でした。計算が得意だから計算の「普通」のハードルが上がる。極度の運動音痴だったから運動の「普通」のハードルが下がる。誰かの能力を判断する際は、なるべく自分の経験則を除外して、客観的なデータを参照したりするべきですね。そして自分を「普通」の基準にするな、という自戒を常に持っておくことが大事だと思いました。

おまけ①

 自分が「普通」である、というバイアスとして、偽の合意効果(フォールスコンセンサス効果)というものがあるそうです。自分以外の人も自分と同じ意見を考えていて、(社会のような)大きな集団でも一般的な考えであるだろう、となぜか思い込んでしまうバイアスです。そのうえ、自分と異なる意見は少数派であり間違っている、と認識しがちらしいです。能力や経験だけでなく、意見や主張も自分を基準にしてしまわないように気をつけなければなりませんね。

おまけ②

 一応、2桁×1桁の暗算は「普通」は簡単なのか、について調べてみました。

 小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説算数版の143頁に、2桁×1桁程度の簡単な計算は暗算できるのが望ましいという旨の内容がありました。やっぱり義務教育のレベルなのでは……?

 まぁ、フレ……個人によって得意なこと違うから!

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