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ネギの距離


買い物を終えてバスの最後部席の左端に座ると、赤いエコバッグを抱えた女性が近づいてきた。

夕方、ショッピングモールから最寄り駅までをつなぐシャトルバス。車内は若干だが余裕があり、その人は僕と0.7人分のスペースを空けるようにして僕の横に座った。

そして赤いエコバッグを自分の体の前に抱えると、ネギが伸びてきた。


うん、確かにネギだ。
あの、鴨が背負ってくるタイプの。


僕と女性を隔てる0.7人分のスペースは、ネギのために用意されたものだった。僕の右腕に接触しない、絶妙な構造計算だった。無意識にネギと目が合う。


(駅前にも24時間営業で安いスーパーはあるのに、なぜわざわざショッピングモールでネギを買った…?)


バスは駐車場を出て大きくカーブを曲がった。
ネギは所定の位置を守りながら、行儀よく座席を占有する。
ショッピングモール産だけあって、育ちは良いらしい。

ネギを目視したときに袋からうどんのパックも見えたから、きっと鍋などするのだろう。その日は一段と寒かった。


袋から飛び出るネギは、その人が生活をしている、大げさに言えば、その人が生きていることを剥き出しにする。

バスでたまたま隣に座ってきたというだけの、無機質で冷たい存在が、今日この日まで生きてきて、また明日からも生きようとしていることを実感させる。命の鼓動と、希望を感じさせる。

このあと鍋の中でクタクタに煮られるであろうこのネギは、確かに、その人に温もりを与える存在だ。


バスを降りて歩くと、松屋が改装をしていた。
最近行ってなかったけど、この松屋にはとても良くしていただいた。既に店内は見慣れないレイアウトになっていて、再開したらまた行こうと思った。

同時に、自分がいかに部屋から出ていなかったかを感じ入った。駅から歩けば必ず目にする松屋だ。この状態になるまでそれを知らなかったとは。


ひきこもって生活を崩していた今の僕は、とても無機質な存在だったろうなと思った。その日はスパイスからカレーを作った。辛かった。

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