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そろそろフィルター主義やめよう

個人的なことを人に見せるのは、正直抵抗がある。この記事を書いてる今も尚、この記事はダサいと思っている。
しかし、近頃の色んな出来事を踏まえると、その抵抗自体が世の中のくっっっそダサい「フィルター主義」のせいなのだから、多少なりともこの環境をマシにするために、ダサい文章を載せる。


私は、小中高、制服がある学校に通っていた。平成4年生まれのバリバリミニスカ世代。そんな中、スカートをスケバンみたいに長くして履いている変わったやつだった。

理由は、「女の子」と言われたくなかったから。普段着も、似合ってないと思っていてもメンズを選んで着ていたし、外見を女の子らしくすることに1ミリも力を注がなかった。

思えば、物心ついた頃から性別や外見を気にすることがすごく嫌いだった。小学生のバレンタインデーではカッコいい男の子だけにチョコが行き渡るのは可哀想だと、サンタクロースのように性別問わず同学年の友達全員にチョコを配り歩き、中学校の頃は、敢えて乱暴な言葉遣いを選んで意見を遠慮なくバシバシ言う男勝りな番長、という無性別ポジションを作り上げていた。
結果、周りには「スエイシは性別スエイシだよね。」と言われ、すごく嬉しかったのを覚えている。プロフィール帳の性別欄にもスエイシと書いていたほどだ。

そうなったきっかけは恐らくたくさんあるが、大体7割ぐらいを締めるのは、父の言動だと思う。

父が嫌いだ。昔から「女なら」「男なら」というように、人の地位や立場を分けて言動を取るように指示してきた。そして、母や私たち家族よりも、立場の上の人の意見を聞く。脳みそはあるけど、思考する気力が無い人間で、ある意味、そこらへんによくいるテンプレ人間だ。
この人が「お前は女なんだから」と発言するたびに、モンスター、ドラゴン、ゲーム、少年漫画など、男の子が好きそうなモノを好きになり、自我を歪めていった。少女漫画やプリキュア、少女系アニメなどは高校まで一切見たことがない。
たぶん弟も、こういう発言に自我を歪めてしまったところがある。弟は頭が良いからか、しょっちゅう「医者になれ」といわれたり、体力がないことを「男なのに」と言われたりしていた。
そして母は、私たちを守るためにそれら父の発言に噛みついていた。母は昔から気の強い性格で、そのやりとりを見た私は、私が嫌な思いをしないようにするには母のやり方を学ぶべきだと認識していき、今に至る。
これらの家庭内のやり取りが無ければ、たぶんもっと「普通」の女の人になっていたと思う。美術の道にも進まなかったかもしれない。今の自分に不満はないが、そういう「普通」を私は選択することができなかった。

そんなこんなで、幼少期より早々理解したことは、この世界では見た目が女だと、言動は勝手に女というフィルターを通して見られてしまう、ということ。それを少しでも中和したくて「変わったやつ」「男みたいなやつ」という女の印象が薄まる要素を加えるようにしていた。それを経て、やっと私は個人として見られている気がしていたから。

だけれども、これは本当に疲れることで、別に男になりたいわけでもないのに、わざわざ口調を男寄りにしなきゃならなかったり、身だしなみを整える程度に化粧をしようと思う時も、結局モヤモヤして出来なかったり。
「化粧は似合わないからしないんだ」と言い訳をし続けていたけども、そんなの、化粧した方が可愛くなるなんて常識、バカじゃないんだから分かっている。「女らしくなることに抵抗がある」なんて、ほぼ間違った理解しかされないから、言わなかっただけだ。

この文章を呼んで共感した人は、みんなそろそろ、諦めるのをやめた方がいい。今はこういうフィルターに抵抗するのが認められ始めている。意識の問題なのだから、時間はかかるが、変えられることであり、今がそのチャンスだと思う。世界的にビッグウェーブが来ている。

私がこうやって発言できるようになったのは、応援してくれたり、支えてくれたり、助けてくれたりする人が、自分の周りにはたくさんいるし、何より自分の言動が間違ったときは、しっかり叱ってくれる人がいる、という揺るぎない確信が持てたからだ。それがあるのは、普段から言動をもって意見を言うというやり方を実践した結果。おかげさまで、このクソほどダサい自分語り文章を、「もうどうとでもなれ〜!!みんな大好き~困ったら助けて~よろしく~!!!」と思いながら、最後まで書くことが出来ている。
だから、さっさと行動した方が良い。今ならこの雑魚みたいな無名の地位の私ですら、スイミーの一派に入れる。自分の考えてることを、一回ちゃんと伝えてみよう。

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