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お金は薬にもなり毒にもなる/人は善にも悪にもなる

正直に、お金って欲しいもの。
だけど簡単に満たされないのは何故だろう。

一万円あればなんとかなるのに十万円欲しい。十万円で余裕があるはずなのに百万円の物が欲しくなる。百万円のために三百万円稼ごうと考える。そんな人を横目に一億やら三億やらをちょいちょいと稼ぐ者がいる。住む世界が違うとか、不公平だと嘆いても埋まらないのが現実だ。

人はお金に執着するし、支配されるし、悩まされる。

前澤さんのTwitterお年玉企画は衝撃的だった。この人はどうしてお金をばらまくようなことをするんだろうか、できるんだろうか、と。
ZOZOTOWN在籍時は宣伝広告を兼ねているんだろうと想像もできた。まさか辞してからも続けるとは思っていなかったし、驚いた。単にフォロワー稼ぎ、繋ぎの話題作りにしては破格過ぎる。十億円をばらまける前澤さんにとってお金は何なんだ、と。

お年玉企画に応募できるにはいくつかの条件があったが、それだけのことで十億円分を見知らぬ人々にあげちゃうなんて、相当のバカか余程の切れ者だとしか思えなかった。
Twitterでお金をばらまいているようなアカウントを見るが、大半は胡散臭いネタ記事のような類いではないか。世間的に知られる個人が、顔を出して、公に、これだけの金額を出すなんて例がないだろう。

それでも私には解らなくもない推測がひとつだけあった。

ご本人は後にYouTubeで『お金は「ありがとう」です』と言っている。この言葉を聞いた瞬間にすべて府に落ちたし、畏敬の念を覚えた。

世の中にはあらゆるお金の流れが見られる。一般的に、労働の対価として手に入れるのが基本だろう。あるいは有形無形の資産から生まれるものである。

個人でお金を用意しようとするなら稼ぐか、借りるかで、借りるにはそれなりの条件があるのが普通だろう。

収入などで返済能力をみられるし、保証人が必要なことも。人によってはどこからも借りられない場合もある。逆に数千万円をポンと借りれる人もいる。

今や持っていて当たり前の携帯電話を契約するにも審査がある。大手キャリアだろうが、MVNOだろうが一定の条件がある。お金さえ払えば利用できるプリペイド式の携帯電話もあるが、長期利用するには割高であったり、そもそも扱うほうも限定的だ。

車を購入しようとローンを組めば金利が高かったり、汗水流して仕事をしても給料が安かったりなにかと厳しいこともあるのがお金絡み。お金を貸す、払う、使う、あげることには慎重にもなるだろう。簡単に得られないのがお金ってものだよと教えられてきた。

お金で社会は動いているし、
人も動いている。
お金に代わるモノって無いのかな?
お金に等しいモノってなんだろう?

若い頃からずっと考えていて自分の中では、お金は「その人の信用」であると思っている。

学歴や資格もその人を信用する判断材料のひとつだろう。仕事をするにもお金を借りるにも、お金を手ににするには信用を得るしかない。そしてたとえ今、お金を持っていなくても信用があればどうにかなる。

前澤さんにとって『お金はありがとう』だと聞いて氏は条件付きでその信用を買っているのだと、理解した。「あなたに100万円でどう変わるか社会実験をするから協力してね」協力してくれたらありがとうの意味で100万円はあげますよ、と。(注 : あくまで私の理解ですから、ズレていたらごめんなさい)

そもそもお金に縛られない社会を目指すには、他人を信用するというハードルを下げないと成立しないだろう。利用されるというリスクがあるから簡単には実践しにくい。それを大胆にも実践している氏には脱帽するしかなかった。

信用することは信用されることに繋がるものだと思う。前澤さんのような方が増えて、当たり前の存在になればもっと多くの人生が豊かに、そして広く社会が明るくなる気がする。一朝一夕には成らないだろうが、とてもいい刺激をもらったな。

そんな私も応募したけどDMは頂いていません。たいした信用もないので細々と暮らしています。


【お年玉で社会実験】100万円を1000人に配る理由とは?|Yusaku Maezawa 前澤友作 @yousuck2020 #note https://note.com/ysk2020/n/n287f05c30b9e

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