「きっと愛は不公平」から見える松室政哉の“瞬間”の切り取り方

【副題】
松室政哉の「きっと愛は不公平」から見えた彼の“瞬間”の切り取り方と、この曲が私に教えてくれたこと

※このテキストは、2018年3月1日に「音楽文(powered by rockinon.com)」掲載された記事の転載です。

人間のちょっとした感情の機微、情けない部分すらも肯定して彩り豊かに歌ってくれるシンガー。それが松室政哉だ……と私は思う。

「毎秒、君に恋してる」という、恋愛が始まった瞬間を煌めくようなサウンドに合わせて歌いメジャーシーンに登場した彼が、二作目に放ったのは失恋による別れで負った”痛み”を痛烈なまでに歌い上げる「きっと愛は不公平」という楽曲。
タイトルだけ並べてみると、ちょっと大丈夫かな?と心配したくなるかもしれないが、どちらにもちゃんと共通点がある。

それは、「感情が動く“瞬間”を表現すること」。

恋愛が始まった瞬間、恋愛が終わった瞬間。
どちらもその“瞬間”のことは、時が経つとうっかり忘れてしまいがちだ。
何か劇的に印象に残るような出来事があったならまだしも、日々の生活のやるべきことのなかにその“瞬間”はいとも容易く飲み込まれていってしまう。
でも、私たちの生活のなかで本当に大事なことは、きっとその「感情が動く“瞬間”を憶えておくこと」なのではないだろうか。
彼の音楽は、そんなことに気付かせてくれる。

2月21日にリリースされた2nd EP「きっと愛は不公平」は、失恋した直後という“瞬間”をトリガーに、人間が心の奥底にしまい込んでしまいがちな“痛み”を思い出させてくれる楽曲となっている。
描かれているストーリーは一見すると壮大で、そんな失恋したことないよと思う人もいるかもしれない。
けれども、“別れ”の経験、そしてそれによって寂しい想いや切ない想いを抱いたり、うまく言葉にはできないけれど、心がぎゅっと締め付けられたりするような体験は、誰しもしたことはあるのではないだろうか。

私自身にも、そんな“別れ”の経験がある。
人間というものは儚い生き物で、ついさっきまでそこにいるのが当たり前だった存在が、ふとした瞬間に自分の目の前から消えてしまうものだ。
年をとったり、病気をしたり、「もしかしたら」と見送る側も見送られる側にも覚悟をする時間を与えてくれる場合は、まだマシなのかもしれない。
(もちろん、そういった場合でもものすごい虚無感に襲われることはわかったうえでの話だ。)
本当に突然。何の前触れもなく目の前から存在が消えてしまったときの遺された側の為す術のなさ。巻き戻したくても戻せない時間。手に入れたくても、もう手に入れることができない未来。
ただ立ち尽くすしかなくて、心はどこかに置いていってしまったままで、それでも普通の生活をする”フリ”をしなくてはいけなかった日々。
この“瞬間”から私の価値観もがらっと変わったと、今となっては思う。

もちろんあの“瞬間”に感じた想い、目の前で見た光景を忘れてはいないけれど、随分長いこと自分の心の奥底に厳重に蓋をして閉じ込めてしまっていた。
開けておいたら辛いから。大事にしまっておかないと忘れてしまうような気がするから。
でも、この曲「きっと愛は不公平」を初めて聴いた瞬間に、ずっと閉じ込めていたあの日、あの“瞬間”の記憶が鮮明なまでに蘇ってきた。長いこと閉じ込めてしまっていた分、むしろ濁流のように押し寄せてきてしまった。
一聴したときは「恋愛の別れ」を歌った曲だと思っていたから、自分がなんでこの曲を聴いて泣けてくるのかわからず、途方に暮れたけれど、ゆくゆく歌詞を見たら合点がいった。

「後悔を並べてみるけど
遅すぎるよ もう戻らないんだ」

「愛すること 教えてくれた君が
忘れ方は教えず去って行く
憎めたならラクなのに 傷は深くなっていくのに
ただ、会いたいんだ」

あの“瞬間”を経たあとに、私は何度も何度も「あの時こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」と考えた。
でも、どんなに考えたって、どんなに後悔したって、過去は戻ってこないのだ。悲しいけれど、それが真実でしかなかった。
相手が私にくれた言葉は、数こそ多くはないけれど心に響く言葉がたくさんあった。
それはどれも未来に繋がる愛のある言葉ばかりで、時が止まってしまってから、自分の心のなかに遺った言葉たちとどうやって付き合っていったらいいのかわからず、私は頭を抱えた。
だって、いなくなったらどうしたらいいのかは教えてくれていなかったから。これは、いまだにわからないままだ。

この曲の主人公も、「憎めたらラクなのに」なんて言っているけれど、憎む気持ちなんて一ミリもないのだろう。
むしろ、好きで好きでしょうがなくて、でも目の前にもう彼女はいなくて、やり場のない気持ちをどう片付けたら良いのかわからないから、いっそのこと「憎めたらラクなのに」と言っているのではないだろうか。
感情のやり場がなくなってしまって、どうしたら良いのかわからなくて途方に暮れているのは、私も、この曲の主人公も一緒だった。
だからこの曲の“痛み”がわかるんだと思った。同じ経験はしていなくても、人と人が気持ちを共有すること、“痛み”を分かち合うことはできるのだなとはっとし、思い出すのが辛くて閉じ込めておきたいと思っていたことも、“共感”が伴うと自然と自分の心の奥底から記憶が引っ張り出されることに驚いた。
そしてそうすることで、傷を癒す方法もあるのだなと知ったのが、新たな発見だった。

「感情が動く“瞬間”を表現すること」。
忙しい日々に生きていると、その“瞬間”を表現する暇もなく日々が過ぎ去っていってしまう。
表現しなくとも、私たちの生活は回っていくし、何事もなかったように次の“瞬間”が押し寄せてくるから。
けれども、そういった“瞬間”があることを記憶するだけでなく記録しておくこと、きちんと残しておくことが、次に自身が同じ経験をしたとき、もしくは誰かが同じような経験をしたときのひとつの指針になりえるのかもしれない。

松室政哉は、そんな“瞬間”を切り取るのが上手いシンガーソングライターだなと思う。
そして、本当だったら「情けないから見せたくない」「こんなこと思っていたらかっこ悪いかな」「恥ずかしいかも」と思うようなことも、包み込んで肯定してくれているような気がする。
そのうえ、そんなかっこ悪さすら情景豊かに描いてしまう。この世界で生きているただ一人の人間だと思っていた自分でさえ、こんなドラマを持っているんじゃないかと思えるぐらいに。
人間臭いことがこんなにも素晴らしいことなのか。喜怒哀楽どんな“瞬間”も自分だからと受け入れることを許してくれている。彼が紡ぐ音楽は、そんな音楽だ。

恋が始まる“瞬間”、恋が終わった “瞬間”を描いた次に彼がどんな“瞬間”を切り取ってくれるのか、私はただただ楽しみにしている。

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