平等という言葉がしっくりきていなかった。
不勉強なのかもしれないけれど、自分の思う平等を進めれば進めるほど格差が大きくなるように思っていました。
とりあえずこういった内容は、いつもどおりchatGPTとGeminiへふんわりと聞いてみました。
聞いてみたこと
平等とはどういうこと?
そうだよね!と思いました。
「1.同じ権利を持つ」、「2.同じ機会を持つ」は、納得で安定した環境で、ある程度不自由がなければ実現できることと思います。
しかし「3.同じ結果を得る」でおや!?となりました。
世の中のいろんな平等を訴える声がしっくり、はいってこないのはこのあたりかもしれないと思いました。
もやもやして過ごしていると「平等と公平」の話を見かけました。
というわけでこちらも聞いてみました。
平等と公平の違いは?
ふむふむです。
うーん、となりました。
「適切に使い分ける」が難しくて議論になるのかと。
過度な支援は、される方の多くも、自立を妨げると感じて求めていないと思います。
思ったこと
うちの子どもと接していると、「平等」は普通になってきていると感じます。突出して憧れられる子供も居ないけれど、極端に馬鹿にする子供も居ないように感じます。またさらっと困っている人に手を差し伸べて、「適度な公平」もある程度備わっているように思います。学校の先生はこの辺に特に気をつけていると思います。
会社の同僚(20代前半)と接していても、不平等・不公平をあまり感じません。フルリモートの在宅勤務で、自己紹介のときだけカメラONしますが(1,2ヶ月に1度くらい)、それ以外は常にカメラOFFです。声とユーザID、アウトプットと話してくれた内容くらいしか情報がないので、見た目とか年齢とかの印象が入りにくいからかもしれません。
しかし親には問題があると、ときどき感じます。
他のうちの子供や家庭を見下したりして、自分の子供に不平等を話しているのを見かけるとつらいと感じます。今の時代なら、その感覚を子供に植え付ける必要を感じないからです。
平等は積極的に進めてどんどん普通にしていくことはよいと思います。
しかし「結果を同じにするための公平」は、ある程度幅を設けておいて少いづつ公平性を上げていく方がよいと思いました。
日本国内で見ると、人口が増える方面での公平性を上げてもよいかと思いました。
世界を見たときには、公平にするためにどれだけ自分の生活水準を落とせるかと想像すると、まだまだ全体の水準をぐんと上げておいたほうがよいと思いました。
公平については穏やかに議論を続けて、世代が変わりながら緩やかに進めていくのがよさそうと思います。完全な公平は、やりがいを感じにくくモチベーションを上げる必要も、成長や発展をしていく必要もなくなるように思いました。命をつなぐことだけが目的というのも少しつまらなく感じて。
自分にできることは、狭い家族というコミュニティ内で対等な関係で接することくらいですかね。