離れたら呼吸できなくなりたい

 この心臓の鼓動は僕を安心させるためにあるんじゃないかって思い上がるほど愛されていた。
 「花野子(かのこ)さん、俺はあなたの目の届かないところには行きたくない」
 僕が言うと、彼女は優しく笑って
 「ダメだよ」
と言う。
 「君は自由にならなきゃいけない」
 嘘吐き、と思う。僕を手放す気なんてないくせに。僕がどこにも行かない、あなたの手のひらの上だけを這いずる獣になるよう、日々、刷り込んできていることに僕が気づいていないとでも思っているのか。だから、僕からもお返しだ。
 「なら、あなたの視界から外れた途端、呼吸ができない生命体になりたい」
 さすがに目を丸く見開いていた。いつもは切れ長の花野子さんの瞳が間抜けなくらい丸い。
 「ダメだよ、って言ったらどうですか? さっきみたいに」
 「いや、君はなかなか過激なことを言うね」
 「ダメじゃないんですか?」
 「なれないだろ、なりたくても」
 「そうですね」
 「馬鹿なことを言ってないで寝なさい。ココアでも飲んで」
 「知ってます? ココアにもカフェインが含まれているんですよ」
 僕は軽口を叩いた。夜はまだ長くなりそうだ。
 「そうですね、花野子さんがいないと眠れない生命体にくらいならなれるかもしれません」
 僕が言うと、その晩は抱きしめて眠ってくれた。


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