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ワインを片手に

高校3年生の一年間だけ、私は父親と二人暮らしをしていた。
姉は大学へ進学し一人暮らし、母は愛犬を連れ家を出ていっていた期間だ。

高校2年生の終わり、母が家を出ることが決まったときはひどく動揺した。
大学受験を控え、勉強に加えて家事の負担が増えることを不安に思い、更にずっと一緒に暮らしてきた母が居なくなることを受け入れられなかった。
ただ、父も母も一人の人間として幸せになる権利があるし、それを妨げられる理由は自分にはないとどこかで理解していた。高校生ながら達観していたと思う。これが中学生だったのなら、もうちょっと足掻いていたかもしれない。

父は私に対して、家事は一切やる必要がない、自分がやるので負担は気にしないでほしいと言われた。フルタイムで働いていて忙しい父が?本当に?と思ったが、了承した。
だが一つだけお願いがある、浪人はせず現役で合格して欲しい。そう言われた。
後にも先にも二人暮らしで父にお願いされたのはこれだけだ。

高校3年生に進級し、私は受験生になり、二人暮らしが始まった。
私が幼少期のときの父は、私が起きる前に出勤し、寝たあとに帰宅していたため本当に「忙しい人」というイメージがあった。平日に顔を合わせることがそもそも少なかった。
そんな父が、洗濯をし、晩ごはんを作ってくれ、週末には家中を掃除してくれていた。フルタイムで働いているのにいつ休んでいるんだ?というぐらいに家事を完璧にこなしてくれていた。

だが、二人暮らしになって、色々と困ることはあった。
女性特有のアレコレの購入である。
ひとつは、生理用品。
冷蔵庫に貼ってあるホワイトボードにスーパーで買ってきて欲しい物を書いておくと、父の時間が空いたときにまとめて買ってきてくれるシステムだった。
生理用品がないなあと思った私は何の気無しに「生理用品(昼用)」と書いた。
一緒に行けるときについていき、選ぼうと思って書き込んだものだったが、そのときは間が悪く、私が不在のときに父が一人で買い物に出てしまった。
そんなことを知らず私が勉強をしていると、父からの電話が鳴った。
「生理用品って何を買えばいいの?」
申し訳ないことをした。50歳過ぎのおじさんが生理用品コーナーで立ち尽くしながら電話を掛けてきていると思うといたたまれなくなった。
幸い、父は仕事柄か身体のことや病気のことに割と理解がある方なので、生理用品を男性が購入すること自体には抵抗はなかったらしい。
ただ、買ったことがないので種類が多すぎてわからなかったとのこと。
「ごめんね、今度一緒に行って選ぼうと思ってた」
そう伝えて電話を切った。ごめん、父。

父には申し訳ないことをしたけど、理解を示してトライしてくれたことが嬉しかった。
後日一緒にスーパーに行って、普段私が使っているメーカーと種類を教えたら、次から完璧に買ってきてくれるようになった。在庫を確認してストックまで揃えてくれるようになり、父はまじで仕事ができるひとなんだなと思った記憶がある。

ふたつめは、下着。
持っていたブラのワイヤーが曲がってしまい、買い替えなければならないなと思ったことがあった。
ただ、男親にそういうことは非常に言いづらい。でも高校生にお金はない(受験期でバイトを辞めてしまっていた)。
今になって考えてみれば、毎日下着を洗濯してもらっているのでサイズとかはモロバレしているし恥ずかしいも何もないな、とは思う。

とはいえ、思春期真っ只中だった私は言い出せず、どうしたものかと考えていた。貯金から捻出する?いやでもこれは生活必需品というか衣類だし…みたいに。
二人暮らしのときに採用していたシステムは、ほしい洋服がある場合、どんなデザインで何故欲しいのかを父に稟議を上げる方式だった。
決裁がおりると一緒に探しに行ってくれて、そのときにお金を出してくれた。

下着も同じく言えば買ってくれるだろうが、言いづらい…。

考えていてもしかたがないので、意を決して父に言いだしたときのことは今でも覚えている。
「下着?いいよ」
めちゃくちゃ軽いノリでOKをもらった。
ただブランドとかはわからないからとお店を調べておくように言われ、週末に越谷レイクタウンに二人で下着を買いに行った。
せっかく身に付けるのなら良いのにしなさいと、Wacoalに行った。
フィッターさんにサイズを計り直してもらって、二人で色や柄を相談して決めた。白とピンクをやたら推す父からはこう言われた。
「高校3年生なんだし、これから何があるかわからないしね」
父親がそれを言うんかいとは思ったけど、父親なりの私への愛情なんだと思う。

なんだかんだでうまくいっていた二人暮らし、今でも鮮明に覚えている思い出がある。

毎日21時頃まで予備校で勉強して、22時頃に帰宅したあと父が作ってくれた晩御飯を食べてお風呂に入る生活をしていた。
父は作ったあと一人で食べてしまっているので、私がごはんを食べている間、リビングでテレビを見たりパソコンをいじったりしていた。

一人でご飯を食べている間、それがどうしても嫌だった。
家で二人いるのに、一人でご飯を食べているのが寂しくて仕方がなかった。
できれば父と話したい、今日あったことや勉強で知って嬉しかったことについておしゃべりしたいと思っていた。
朝の身支度のときも、帰ってきてからの時間も父と話せる時間が少なくて寂しく思っていたのもある。せめて、ご飯のときぐらいはおしゃべりしたい。

もう高校3年生だったので、わがままというわがままをいう年齢でもなかった。内容もあまりに子供っぽすぎる。
話すのもはばかられるぐらい恥ずかしかったが、ある日、正直に父へ思っていることを伝えた。

父は笑わずにうんうんと聞いてくれた。
これからは先に食べてしまっていても、私がご飯を食べている間は席につくようにすると受け入れてくれた。

その日から、私のご飯中、父は白ワインを飲みながら私の話を聞いてくれるようになった。
学校での生活のこと、勉強のこと、友達のこと、嬉しかったことや楽しかったこと、今度食べたいもの…何を話しても頷いて聞いてくれた。
私はご飯の時間が好きになった。

父は決まって白ワインを飲んでいた。
ドイツワインのカッツが好きで、いつも琉球グラスのワイングラスに注いで飲むのが好きだった。

数年前の父の日に、限定ボトルを贈ったら喜んでくれて、猫柄のコルクの写真を撮って送ってきてくれた。ピントボケボケで何が写っているのかわかりづらかったけど。

たった1年間だけだったけど、父との二人暮らしは楽しかった。
小中学生の頃は全然話したことがなかったし、父とのコミュニケーション自体とれていなかったぶん、1年間で取り返したなと思う。
思春期の頃に父のことを嫌悪する女性は多いかもしれないけど、私はまったく逆のパターンだったなーと思ったりした。
現在でも親子仲は良好なので、今思ってもこの1年間は非常に有意義だった。

その後、無事大学に合格して引っ越しをして、姉と三人暮らしを始めるのだけれど、それはまた別の話。

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