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【企画】「日本語業界のきっかけ」知ってしまった者として

スーダンに住む日本人です

私はアフリカ北部にあるスーダンという国の首都ハルツームに住んでいます。
2017年3月から2019年3月まで青年海外協力隊員としてスーダンで活動していました。活動終了後に再びスーダンに戻ってきて、ハルツーム大学アジアアフリカ研究所というスーダンで唯一の日本語学習できる機関で日本語のクラスを再開させるために活動をしています。

スーダンの大学教員というものは名誉職ではあるけれど、暮らせるだけの給料は残念ながら貰えません。
そのため教員は海外から帰ってきて貯金のある年配者か、事業を別にやっている実業家のような人がやる仕事です。

始めはNGOに所属して働けば良いとも思いましたが、スーダンはNGOをスパイだとか情報を盗む機関だとして活動に非常に制限をかけています。NGOの職員ですと日本語を教える過程で学生を扇動する恐れがあるとされ働く事ができません。

大学で日本語を教えるためには、JICAなどの公的機関に所属しているか、直接契約のフリーランスのような働き方しかできないのです。私は、大学と個人で契約し働く道を選びました。

この話を日本人にすると、自分の生活を切り詰めてまでそんなことをやってどんな意味があるのと言われることがあります。

たしかにスーダンの日本語クラスが再開したからといっても、大した意味などありません。
スーダンで日本語を勉強したって日本企業の仕事が見つかるわけでも、日本人相手にビジネスができるわけでもありません。

それでも、この活動は私にとって大切なメッセージを送り続けることなのです。

スーダンの現状

スーダンの日本語教育は2012年に始まり、ずっとJICAが派遣した日本語教師のボランティアがクラスを継続してきました。日本語を学び日本の大学への留学を果たしたり、日本で仕事を見つけたりする学生もいました。
ジャパンデイという2000人規模の日本文化紹介の
イベントを大使館と共同で企画し、柔道や剣道、合気道などの演武、書道や着付け体験などを通してスーダンと日本は繋がっていました。

しかし、2019年初頭に物価高騰による生活の困窮に端を発した独裁政権を打倒して民主化を目指す民衆デモが発生、次第に活発化しました。

その年の4月、無抵抗なデモを行っていた国民に対して政府側が機関銃を乱射するという凄惨な事件が起きてしまい、外務省の安全レベルは一気にレベル4に引き上げられJICAは撤退しました。それから日本語のクラスは閉まったままとなっています。

勇敢な国民による非暴力不服従を貫いた革命は大統領の退陣と新内閣の誕生で2019年6月にスーダンの歴史の輝かしい一歩として達成されました。

民主化を成し遂げたスーダンですが、その歩みは順風満帆ではありませんでした。3年前のドルの両替レートは1ドル16スーダンポンドでしたが、現在では150スーダンポンドへと上昇し、物価もほぼ10倍となっています。

生活が苦しくなって国民は心の余裕はどんどんなくなり、生きるのに精一杯になっています。親切心の塊みたいだったスーダン人が騙したり、ぼったくりをしたりするなど前まではあまり考えられなかったことが現実に起きます。

スーダンという国は何か大きな病に冒されてしまっているように感じられます。

スーダンの現状に日本は無関係ではない

日本人の私たちはスーダンのこの現状に無関係ではありません。石油が豊富にあるスーダンの南部独立を後押ししたのは中国のアフリカ石油戦略を恐れたアメリカです。そして、それを後ろから支えたのは紛れもなく日本です。スーダンから南スーダンが分離後した後、南スーダンに自衛隊が派遣されたのもただの平和活動ではありません。私たちが使う石油を守るためなのです。
そして分離によって石油資源の大部分を失ったスーダンの経済は悪化を辿っています。

私自身、問題の原因に関わった日本人の一人として困っているスーダンの人々にできることは多くありません。
物乞いをしている人に少しばかりのお金をわけられますが、苦しい暮らしをしている人に対してもっと頑張れとも言えません。募金を集めて食糧を多少配っても、焼け石に水です。

では、一体私に何ができるかという悩みから出した答えが、日本語のクラスを再開することでした。

かつてのような活気溢れるクラスが開かれたら気持ちは少しでも明るくなるのではないか。
そしてほんのわずかでも日本に留学できるチャンスを残すことができれば、夢を諦めなくてすむのではないか。

そして何より伝えたいことは

あなたたちのそばにいます。

という無言のメッセージです。



スーダンの現状に、日本人も関わっているということを知らずに、この国の富を奪っていく。

そんな無関心を非常に恐れています。

それを知ってしまったらもう目を背けることができません。


もし、授業料が払えず生徒がだれも来なかったとしても、誰もいない無人の教室で日本語の授業を私はやると決めています。

皆様からの温かいサポートは、日本に憧れを持ち、日本に留学する夢をもつスーダン人の若者が日本語を学ぶ活動に使わせていただきます。