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安全性の誤解。というより甘え。
先の、狭き門より(入れ)に関連して。
拙の使用するマニュアルには、はっきりその治療をした場合の死亡率が書かれている。
告知義務があるので、伝える。
何とか安全に出来る方法はないか?
実は病気によってはあったりもする。
その方法と、マイナス面も伝える。無論絶対の安全は無い事を告知してだが。
何故、安全性の高い方法が教科書には載らないか?
マイナス面は費用と無駄だから。
体を薬に慣らして死亡率を下げるために、効果の無い低容量投与から始めて徐々に増量する。
効果の無い薬を求める、平常心の人間には無い選択枝で、当然医学的に間違っている選択枝。
イザその場面で、不安にかられた人間のみ選択する。
その選択が良かったかどうかは、永遠にわからない。
また、手術や抗がん剤などは、タイミングが大事だったりする。
リスクを恐れて選択しなかった場合のマイナス面は
どれだけ説明しても、目の前の不安にかられた人には実感できない。
次善、三善の方法を選んだあとに、その結果として訪れるマイナス面を目の前にしてから
あの時に狭き門を選べば良かった、強く勧めてくれれば選んだ、などと云われても、好機を逸している。今から出来ないかといわれても、その当時とは格段にリスクが高すぎて、到底お勧め出来ませんとなる。
安全性、安全域をどこまでとるか、そこをじっくり考えて最善、次善の道を探る。そういう考えなら良いが。
安全、安全に。安全性が重要。なんて云うのは、甘えでしかない事が多い。
逆に、それをうたう広告や政治家は、人の弱みにつけ込む商売だと思って間違いなかろう。
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