見出し画像

愛しい愛しい花愛ちゃんへ

 花愛ちゃんが死んだ。まだ5歳半だった。
 花愛ちゃんというのは我が家で飼っていた、ホーランドロップという品種のたれ耳うさぎの名前だ。とてもかわいい。
 花に愛と書いてハナちゃんと読む。最近の子供によく見かける名前だけど気に入っている。
 全身ツヤのある真っ黒な毛並みで、目も真っ黒なので、写真下手な飼い主は結局いちども綺麗な写真を撮ってやれなかった。カメラ趣味の妹が一眼レフ(たぶん)でめっちゃいい写真撮ってくれたのでそれを大切に持っておくことにする。

画像1

 これまで10匹のうさぎと暮らしてきた。9回の別れを経験した。うさぎだけじゃなくてハムスターや金魚とも暮らしたことがある。だから悲しい別れはもう20回近く経験してきたと思う。だけど慣れることなんかできない。何度経験しても悲しいものは悲しい。
 もういい年の社会人なのに、この三日間あほみたいに泣いている。なぜだか分からないけど、今までだって悲しかったけど今回はいつになく悲しい。でもたぶん、きっと毎回そう思っている。
 仕事をしていると、いきなり涙が出てくることがある。家でお風呂に入ったり、夜じぶんの部屋にひとりになるとわけわからなくなるくらい泣いてしまう。でも同居している母親にはそんな姿を見せたくなくて、朝は平気な顔をして一緒に朝ごはんを食べている。
 こういうことを話せる友人もいない。いたとしてもたぶん話せない。世間から見たら犬や猫ではないたかが小動物で…と笑われてしまうんじゃないかとか、いい大人なんだからとか、いろいろ体面を気にしてしまうので。

 ツイッターにも散々弱音を書いたけど、もうあんまりネガティブなものを人様に見せるのも良くない気がしてきた。わたしだったら「こっちの気も滅入るわ~」ってミュートする。
 だから、誰にも話せないことを、ここに書いて気持ちの整理を付けることにする。憐れみや慰めが欲しいわけではなくて、ただ自分のために書く。それでももし、共感してくれる人がいたらその時は、一緒に傷の舐めあいでもできたらなと、1ミリくらい思っている。

 なお、あったこと全部書くつもりなので、この先には動物が死ぬ瞬間の描写をはっきりと書いてしまうと思う。わたししか見ていなかった彼女の最期を、誰かに知っておいてほしいから書く。書くことしか能がないから、花愛ちゃんとの思い出、可愛かったこと、おもしろかったこと、最期の日の話、私の後悔、悲しみ、怒り。書けるだけ全部書く。

 ただひたすら長いだけの文章なので読み物としても面白くないと思う。飼い主の見苦しい懺悔文でしかない。

 ノンフィクションであっても動物のかわいそうな描写が苦手な人は、この先は読まないことをおすすめします。


 花愛ちゃんは、ブリーダーさんのところで生まれた子で、うさぎ専門店からお迎えした子だった。お迎えした後のアフターケアも健康相談にもホテルにもグルーミングにも対応してくれるきちんと管理の行き届いた綺麗なお店で、彼女と出会った。
 彼女は他の子うさぎたちとは違って、とても人見知りだった。人が通れば興味津々で寄ってくる小さな子うさぎの中で、彼女だけは人を怖がって(たとえお店のスタッフさんであっても)触られそうになるとケージの奥に逃げてしまうくらい奥手で、悪く言えば「愛想がない」子だった。普通なら飼育をお勧めされないタイプのうさぎだ。でも私たち家族はそこに惹かれたのだと思う。

 我が家にはその時すでに、うさぎが2匹いた。
 当時7歳の雑種うさぎ結愛(ゆめ)ちゃんと、1歳で花愛と同じショップから迎えたホーランドロップの福くん。花愛ちゃんで、ちょうど我が家十代目のうさぎだった。
 花愛ちゃんは人を怖がったが、うさぎ相手だと物怖じしない性格だった。とくに同じ女の子の結愛とは相性最悪で、ケージを隣同士に置いていたらケージ越しに毎日喧嘩をするので、そのうち間に福のケージを置いて引き離された。
 ほどなくして、結愛が亡くなった。もともと避妊をしていなかった彼女は子宮に病気を患い、数回手術をしたけれど全身に転移して、最後は家族の腕の中で息を引き取った。結愛の前に我が家にいたうさぎも同じ病気で亡くなっていたので、それ以降我が家のうさぎは避妊去勢手術をするようになった。


 結愛と相性最悪だったので、てっきり他のうさぎとは上手くやれないタイプの子かと思っていたら、花愛ちゃんは福くんと非常に仲が良かった。
 おっとりしていてマイペースの福くんと、そんな福くんのうしろをずっとついてまわっている花愛ちゃん。本物の兄妹みたいだった。うさぎ立ち入り禁止の部屋の入口をダンボールで塞いでいても、福が自力で開けてしまうので、その後ろで待機して一緒に部屋に入ろうと待っているのがいつもの光景。神経質で人嫌いなのに、なぜかやたらと好奇心の塊みたいな子だった。初めての部屋にも、福といっしょならずんずん入っていく。そして、福の立てる物音にびっくりして慌てて逃げ返ってくる。その繰り返し。
 つい最近、ようやく自分でバリケードを開けられるようになって、頭がギリギリ通る小さな隙間からするりと滑り込んで、後を追おうとした福は体が少し大きいのでつっかえてしまって通れない、不思議そうに振り返っている花愛……という光景を見るようになったばかりだった。もう二度とその可愛いやりとりは見られなくなってしまったけれども。


 初めて生野菜のセロリを食べた日のこと。もともと生野菜はたべさせない方針のブリーダーさん出身なので、お腹を壊さないようにほんのすこし、おやつ程度に福にあげていた(福は一度尿結石ができかけたことがあって、少し多めに水分を取るようお医者さまに勧められていた)。花愛は生野菜には全然興味を持たなかったけど、花愛の目の前で私と福がセロリを食べたら、真似して口付けて、美味しいことに気付いて、もっと欲しいと寄ってきた。ビビリで神経質だけど好奇心旺盛。福のすることはなんでも真似をする。
 ふたりはいつでも一緒だった。ケージから出すと一通り家の中をパトロールした後、きまってリビングの隅にならんでくっついて寝転がる。そして福が花愛に毛づくろいをしてやって、しばらくするとお返しを求めるようにぐいぐいと頭を押し付けて、でも花愛はめったに毛づくろいをしてやらないので折れた福がまた花愛を舐めてやる。微笑ましくて可愛い光景。

画像2

 初めは人嫌いだった花愛も、数年我が家で暮らすうち少しずつ心を開いてくれた。福にはいくらでも触らせるくせに、人間が手を出すと「ブゥッ」と鼻を鳴らしてうさパンチを繰り出してくるくらいには人間が好きではなかった花愛。けれど動物病院に連れて行くと、診察台の上で飼い主に向かって抱っこをせがんだ。家では絶対そんなことしないのに、というかうさぎという生き物がそもそも抱っこを好まない動物であるのに、「抱っこしてくれ」といわんばかりに診察台の上で立ち上がって、飼い主にしがみついて、よじ登ろうとした。私にとっては定期的に花愛を連れて動物病院に行くのがちょっと楽しみにすらなっていた。あの光景を動画に収めておけばよかったと、今とても悔やんでいる。でもあの花愛に頼られる喜びを自分だけの胸にしまっておけるのはちょっと役得と思うことにする。

 5歳を迎えるころ、ようやくケージの外で飼い主が触れても嫌がらなくなった。おやつを見せると、膝にのぼってくるようになった。寝そべっている時に撫でても、逃げなくなった。名前を呼んだら、家のどこにいても一目散に走ってくるようになった。
 人懐こいうさぎに特有の「頭をなでてほしい」という動作を見せてくれるようになるまで、あと少しだねとよく母と言っていた。
 あと少しだと思っていた。


 花愛はもともと食欲旺盛な子ではなくて、たびたび食欲が落ちることがあった。季節の変わり目と、臼歯が伸びすぎて痛むとき。歯が痛いときは、食べられなくてもおなかは空くのでごはんがほしいという動作はする。でも食欲がないときは、目に見えて元気がなくなる。だからそれですぐに、ああ食欲がないんだなとわかる。

 うさぎという生物は、飼ったことの無い人にはなかなか知られていないけれど、草食動物なので体の仕組みも犬猫とは違う。肉食動物は野生だと狩りをしなければならないので、二、三日食べ物にありつけなくても耐えられる体のつくりをしている。一方草食動物の食べ物となる草は、そこらじゅうどこにでも存在する。つまり起きている間はずっと食べていられる。草というものには栄養価がほとんどなくて、草食動物の特殊な消化管をもってして初めて栄養に変えることができるようになっているらしい。(食物繊維=セルロースを分解できる機能を持っているか否か、という難しい話)牛の仲間がやっている「反芻」とか、うさぎの「盲腸糞」がいい例で、一度飲み込んだものをもう一度口に戻したり、一度消化したものをもう一度食べたりいろいろな手段で、食物繊維を分解して栄養を吸収しているのだとか。
 逆を言えば、「常に食べている」「常に腸が働いている」のが、呼吸と同じくらい自然なことで。
 食べなくなったらそれは大変な異常なのだ。

 うさぎがよくかかる病気というか症状に「うっ滞」というものがある。腸の動きが止まってしまうことだ。お腹の調子が悪い…というのはどんな動物にも起こりうることだけど、うさぎにとってはそれが致命傷になってしまう確率が非常に高い。
 私は獣医ではないので専門的な話や他の動物の場合は獣医さんに聞いてほしい。でも20年近くうさぎと暮らしてきた中で、あるいはSNSで多くのうさぎの飼い主さんと繋がってきたなかで、「食欲が落ちた」ことで呆気なく命を落としたうさぎは数えきれないほど見てきた。


 花愛ちゃんは食べることにあまり執着がない子だった。ご飯を残すことが多くて、完食していたら全力で褒めてやるくらい。おやつはドライフルーツのキウイとエン麦、アルファルファの牧草がお気に入り。他のものは何をあげても微妙な顔をして顔を背け、たまーに仕方なく受け取って去っていくような子だった。動物なのに食べることに執着しなくてどうするの、とよく笑った。そういえばつい最近、小動物用の「フルーツグラノーラ」に入っているぱりぱりに乾燥したバナナが好きなことが分かった。新たなお気に入りが増えたばかりだった。
 元から食べることに執着のない子だったのだ。それに加えて繊細なので、季節の変わり目はきまって食欲がなくなった。年に何度病院に連れて行ったか分からない。奥歯の伸びすぎで食欲が落ちることもあった。けれど病院で点滴とか歯の処置をしてもらったら、だいたい翌日にはすぐ復活していた。
 ラビットフードに水をかけて柔らかくすると、歯が痛くても食べられた。そして、なぜか普通のごはんより喜んだ。だから我が家では、それを「お粥」とか「お茶漬け」とか呼んで、食欲のないときには食べさせていた。食欲がなくても、お粥ならいつでも喜んで食べてくれた。

 少し前に、福が体調を崩して母が病院に連れて行ったばかりだった。原因は奥歯の不正交合で、麻酔をして歯を削ってもらって、2日目にはごはんを食べられるようになった。ああよかった、と言っていた矢先のことだった。


 その日の朝。花愛のケージを覗くとエサ皿に前日の夜にあげたごはんがまるごと残っていた。大好きなエン麦やドライフルーツもまったく口を付けた痕跡がない。
 前日は、福と一緒に家の中を飛んだり跳ねたり楽しそうに走り回っていたくらいには元気だった。うさぎの機嫌のよいときに体を捻りながら飛び跳ねる「ごきげんジャンプ」を何度もしていて、どうしたの今日は楽しそうだねと声を掛けたのを覚えている。うさぎ立ち入り禁止のバリケードを自力で開けて和室に入っていって(特に危険なものがあるわけではなく、オシッコしてしまうのを防ぐためのバリケードなのであまり強く禁止しているわけではない)、満足したらいつもはすぐに出てくるのに、めずらしく呼んでも出てこなくて、就寝時にケージに返すのに手こずった。思えばその時から、食欲がなかったからケージに餌やオヤツを入れて呼んでもケージに戻る気分にならなかったのだろうと今なら思う。

「どうしたの、晩ごはんたべなかったの」
 そう声をかけて頭を撫でた。いつもなら朝はケージから出してくれと騒ぐのに、めずらしく丸くなったまま動かなかった。あ、元気がないんだなとすぐに気付いた。さいきん涼しくなってきたから、お腹の調子が悪いんだろうと思った。福の食欲がもどったばかりなのに今度は花愛ちゃんか、仕方ないなあと。
 だからいつものお粥を作って、ケージの中に置いた。大好きなアルファルファの乾草の柔らかいところだけお皿に入れてあげた。
「お粥好きでしょ、食べなね」と言って置いた。花愛は見向きもしなかった。本当ならそこで、すぐに病院に連れていくべきだった。でも私は、このまま元気にならなかったら週末に病院に連れて行かなきゃいけないかな……予定どうしようかな……などと考えていた。仕事を休むことなど一切頭になかったのだ。
 あの日、仕事を休んですぐに病院に連れて行っていれば。今でもあの朝の自分を呪いたくなる。恨んで呪って、でもどうしようもなくて、後悔して、毎晩ひっそり泣いている。これ書きながら今も泣いている。とうぶん自分が許せそうにない。

 その日の夕方、先に帰宅した母から「はなちゃん何も食べてない」とLINEが来た。ああやっぱりか、明日病院かな、と思いながらLINEを閉じた。その日はたまたま、残業ではなかったけどもその日に終わらせたい作業があってPCを使うために職場に残っていた。必要な残業じゃなかった。プライベートな作業だった。タイムカードも既に切っていた。帰ろうと思えば帰れたのに、わたしは職場に残っていた。
 帰宅したのは22時頃。花愛ちゃんは朝と同じ体勢のままじっとしていた。
 強制給餌をすることにした。花愛はよく食欲がおちるので、病院に連れていくまでのつなぎとしてうさぎ用の強制給餌フードを買ってあった。水で溶いて、シリンジで口に流し込んだ。いつもなら嫌がって抵抗するか、あるいは味がおいしいので喜んで飲み込むのに、おとなしく流し込まれて、そうして口の端から零した。
 さすがにおかしいぞ、と思った。
 翌日まで放置するのは得策ではないかもしれない。母と相談して、車で30分ほどのところにある夜間病院に連れていくことにした。
 夜間病院に連れて行くと、先生は緊急と判断してすぐに中に連れていって、点滴をしてくれた。
 かかりつけの病院でもよく点滴をされていたけど、それは皮下点滴といって動物の柔らかい皮膚の下に点滴の輸液を流し込んで、毛細血管から少しずつ吸収させる点滴。短時間で済むのでストレスも少ない。でもこの日にされたのは、血管への点滴だった。
 耳の毛を刈られて、血管に針を刺して、暴れてしまったので抜けてしまって、仕方なく反対の耳に刺して。そんなふうにしている看護師さんと先生を、ぼんやりみているしかできなかった。
 花愛ちゃんは知らない人が苦手なので、私が押さえますとか言えばよかった。いつもは診察台の上で(だっこ催促はするけど)そこそこおとなしく診察されているので、知らないところで知らない人に押さえつけられてさぞかし怖かっただろう。私が頭を撫でるくらいしてあげればよかった。いつもかかりつけの病院でやらされてるから保定だってできたかもしれないのに。具合が悪いのにあんなに強く頭を押さえつけたら可哀想だ。思っても動けなかった。黙って見ていることしかできなかった。今更悔やんでも仕方ないけど。
 はなちゃんは朝まで入院することになった。病院を出る時に、誓約書みたいなのを書いた。犬猫と違って、うさぎは危なくなったらもう救命措置や人工呼吸や心臓マッサージをしても効果が出ないので、あらかじめ「何かあっても延命措置は行わなくていいです」という誓約書だった。嫌だったけど、一晩お願いする以上サインするしかなかった。先生も申し訳なさそうにしていた。うさぎがとても弱い生物であることは私もよく知っていた。
 夜間病院は朝5時までの診療なので、5時前にまた迎えに来てくださいと言われた。その時すでに深夜1時。家まで車で30分。運転してくれた母にも申し訳なかったと思う。
 家に帰ってお風呂に入っても、眠れなかった。運転してくれることになっていた母の目覚ましが鳴るまで、部屋で原稿の作業をしたり、スマホを見たりしていた。
 4時半になったら母を起こして、運転してもらって夜間病院へ行った。容体はあまり良くなってはいなかった。でも、冷たくなっていた耳に脈が触れているし温かくなっているので少しは回復してるはず、朝一でかかりつけの病院へ行ってくださいねと言われた。


 ここで問題が一つ。その日は水曜日。かかりつけの動物病院も、その代わりに行っていた動物病院も、別の病院も……うさぎを診察できる病院が、ことごとく休診日だった。
 うさぎは犬や猫とそもそも体のつくりが違うので、動物病院なら何処でも見られるわけではない。「うさぎ診療可能」を掲げている病院でないと、そもそも診てもらえない。
 数少ないうさぎ診療可能の病院がどこも空いてない。途方に暮れた。どうすればいいですかと看護師さんに泣きついて、ひとつだけ開いている病院を見つけてもらった。家から車で40分くらいのところ。かかりつけの病院とそう離れていなかったので、行けなくはない距離だった。
 花愛を連れていったん帰宅した。その時で朝6時。
 母は今日はどうしても仕事が休めないといっていたので、別のところに住んでいる妹に連絡をした。たまたまその日は休みだったので、車で迎えに来てもらうことになった。母は心配しながらも、車で出勤していった。
 妹の車が家に着くのをひとりで待った。花愛はただじっとして、荒い呼吸を繰り返していた。
 花愛はここ数年鼻の調子が悪くて、頻繁にくしゃみを繰り返していた。薬も数ヶ月続けたけど効かなくて、結局治療のしようがないので長く付き合っていかなきゃいけないとお医者様から言われていた。それで鼻が詰まり気味だったため、呼吸音はよく聞こえた。スー、スー、と鼻が鳴っていた。苦しそうだった。
 8時。妹の車が来た。病院の診察開始は9時なのでそれより前に病院に駆け込めたらいいなと思っていた。車の後部座席にキャリーを載せて、私も横に座った。

 通勤ラッシュで、少し高速道路が混んでいた。花愛はキャリーの中でしきりに起き上がったり寝そべったりしていた。呼吸がしづらくなっていたんだろうと思う。きっと息苦しくて、じっとしていられなくて、立ったり座ったり寝そべったりする。これまで何度も見送ってきたうさぎたちが亡くなる寸前にやっていた行動を、花愛がしはじめた。血の気が引いた。
 病院まであと10分くらいのところだった。花がキャリーの中で寝そべったまま、足で地面を蹴るような仕草をした。どこかに逃げるように、暴れる。金網のすのこに爪が引っかかってがしゃんがしゃんと鳴る。見たことある動き、聞いたことのある音。何年たっても記憶に焼き付いている、何度も経験した光景。

 抱っこしてやって、と運転しながら妹が言った。冷静ですごかったなと今になって思う。頼りない姉でごめん。
 キャリーを開けて、花愛を抱き上げた。花愛は起き上がることもできずに手足をばたつかせて暴れた。何かから逃げようとするみたいに、走っているみたいに暴れた。はなちゃん!はなちゃん!と何度も呼んだ。意識が戻ることはなかった。
 暴れる力がすこしずつ弱くなっていって、目を見開いたまま、小さな口を懸命に開けてぱくぱくとさせて、そこからぺこぺこと引っ掛かったような呼吸音が聞こえた。息を吸おうとしているんだろう。今までに何度も見た光景だった。何の躊躇もなく、そのちいさな口と鼻を自分の口で覆って、息を吹きこんでいた。せめてあと5分もってくれと思った。息を吹き込んで、手で胸を擦った。口をぱくぱくしていた。また口をつけて、息を吹き込んだ。胸を擦った。何度も息を吹きこんで、でも胸が膨らんでいるかどうかなんて判断できないし、効果があるかどうかなんてわからない。無我夢中だった。病気を移したりもらったりしちゃいけないから普段からうさぎとの粘膜接触は避けているけど、このときばかりは何の躊躇もなかった。前日に強制給餌をしたからか、クッキーみたいな甘い味がしたのは覚えている。
 やがてはなちゃんは動かなくなった。引っ掛かるような呼吸の音が聞こえなくなって、からだがぐんにゃりと脱力して、目から光が失われて、私の膝の上で横たわったまま動かなくなった。ずっと胸を擦っていた。まだ温かかった。

 病院についたのはその10分後くらいだった。
 妹が受付に行って、夜間病院から予約が入っているのをキャンセルしてもらった。受付の看護師さんががんばりましたねと言ってくれたと聞いた。はなちゃんのからだは固くなってしまった。

 ほんの2日前まで、福と元気に走り回っていたのだ。呼んだら駆け寄ってきてくれて、寝そべっている私の顔にフンフンと鼻を近付けてくすぐったいと笑っていたのだ。福といっしょにくっついて寝転がって、ときどきケンカして、また寄り添って、ふたり一緒に撫でたらそっけなく離れてしまったりして……
 大好きなキウイを最後に食べさせてあげられなかった。なくなっちゃったから買い足さないといけないねと言ったばかりだった。
 増税前だからと、いつもよりおおくラビットフートを買い込んだところだった。クローゼットいっぱいで、とうぶんごはんに困らないねと言っていた。福ひとりでこんなに消費しきれるんだろうか。
 花愛ちゃんとやりたいことがいっぱいあった。福や他のうさぎみたいに「頭なでて」と寄って来てくれるようになるのを楽しみにしていた。いつまでも福と一緒に仲良く暮らしてほしかった。あと10年は一緒に暮らすつもりでいた。
 「ハイタッチ」の芸も覚えていた。「オマワリ」も出来た。もっともっと極めて、動画とか撮って、みんなに自慢してまわるつもりだった。うちの子がこんなに賢くて芸達者で可愛いんだって自慢するつもりだった。
 いつか、地元でうさフェスみたいなイベントが開催されることがあったら、ふたりを連れて遊びに行ってみたかった。ビビリだけど好奇心旺盛だから、いい刺激になったかもしれない。でも知らないうさぎがたくさんで緊張しちゃったかもしれないね。

 結愛や、その前に飼っていた子たちは病気や老衰で亡くなった。12年生きた子もいた。だから、あらかじめお別れの覚悟はできていた。年老いて耳や目が悪くなった子の介護をしたり、病気の子に毎日薬を飲ませたりした末のお別れだったから。
 でも花愛ちゃんは、2日前まで元気だったのだ。あの時はまさか2日後に亡くなるなんて想像もしていなかったのだ。いつもの食欲不振だと思っていた。
 どうしてあの時すぐに病院に連れて行かなかったのだろう。
 仕事を休んでかかりつけの病院に連れて行けばよかった。
 夜間病院に連れて行かずに安静にしていた方が良かったのかな。
 むりやり強制給餌したのが間違っていたのかな。
 悔やんでも悔やんでも悔やんでも、どんなに悔やんでも悔やみきれない。

 花愛みたいな人間嫌いな子がこんなに可愛くなったのはきっとうちに来たからだねなんて家族で言っていたこともある。うさぎ初めて飼う人だったら愛想をつかしていたかもしれないねと。ショップの人からも、うちに迎えられて良かったねと言われたこともある。
 でも今は、ただただ、うちに来なければもっと長生きできたんじゃないか、もっと幸せになれたんじゃないかと思えて仕方ない。
 うちに来たせいで、花愛ちゃんは死んでしまった。まだ五歳半だったのに。大きな病気もしていなかったのに。あんなに元気だったのに。
 家に帰って、妹が箱とか花を買いに行ってくれた間に、一人になって、堪えていたぶんが決壊したみたいに号泣した。泣き崩れる私を福はケージの中から不思議そうに見ていた。大好きなはなちゃんがいなくなってしまったなんて知らずに。

 妹の用意してくれた箱に花愛を寝かせて、そうして部屋に帰って泣いた。徹夜だったので気付いたら寝落ちして夕方になっていた。
 夜は、リビングの床にタオルを敷いて寝かせた。親が早めに寝て、妹が帰宅してから、リビングの床で数時間花愛に寄り添って泣いた。ケージから出ていた福が、どうしたの、今日は遊ばないのというように寝たままの花愛ちゃんをつついたり、匂いをかいだりしていたので泣いた。しばらくして、福はわたしにくっついて寝転がった。三人でリビングでしばらく寝た。

 次の日も花愛を寝かせたままにしておいた。いつも床で寝転がっていた子だったので。福はだんだん花愛がいなくなったことに気付き始めたようで、部屋の隅にうずくまったまま動かなくなった。退屈そうにじっとしている。ときどき、別室まで走って行っても、いつもなら後から追いかけてくる花愛が来ないので、つまらなそうに戻ってきた。花愛がいたときは、別室のベッドのしたで二匹べたべたいちゃいちゃしてなかなか出てこなかった。昨日も今日も、福はリビングにずっといる。
 不甲斐無い私のせいで、福くんはひとりぼっちになってしまった。しばらくお互い慰め合いの日々が続きそうだ。


 今日の夕方、花愛を連れてペット霊園に行く。もうあと数時間で、つやつやふかふかの毛並みにも二度とさわれなくなってしまう。うなじだけやたらツヤがあって毛が細くてすべすべで、頭のてっぺんだけふかふかの毛並み。せったいに忘れない。


 火葬してもらったら、お骨も連れて帰るつもり。いままでのうさぎは皆合同葬でお願いしてきたけど、花愛ちゃんはずっと福と一緒がいいので。福が亡くなる時まで、お骨は家に置いておきたいと思っている。

 泣かずに見送る自身はない。たぶんしぬほど泣くと思う。
 けどその後で、ちゃんと楽しかった思い出として昇華できるようになりたいから、全部ここに書いた。
 書き忘れたことは追記するかもしれないけど。葬儀が終わって書きたいことができたら、また書きに来ようと思う。

 花愛ちゃん。
 長生きさせてあげられなくてごめんね。
 大好きな福とずっと一緒にいさせてあげられなくてごめんね。
 うちに来て、幸せでしたか。
 少しでも、わたしたちのこと好きになってくれましたか。
 私は幸せでした。楽しい思い出をありがとう。
 また会おうね。
 虹の橋のふもとで、待っていてください。
 それか……もし、もしもあなたがいいと思うなら、
 生まれ変わって会いに来てください。
 待っています。

画像3


 最後にうさぎ飼いとして一つだけ。
 もしうさぎを飼っている友達や同僚が、
「うさぎがごはんを食べなくて…」
 と言ったらそれは、「家族が危篤」と同義。どうか、たかがペットが食欲落ちたくらいで…と思わずに、すぐに家に帰らせてあげてほしい。すぐに病院に連れて行くようにと言ってあげてほしい。うさぎは寂しくても死なないけど、食べないと一日で死んでしまう動物だから。
 どうかお願いします。


それでは行ってきます。


23:30追記。

 花愛ちゃんを連れて、ペット霊園に行った。母と妹が手続きしてくれてる間、やっぱり私はあほみたいに泣いていた。

 お線香を上げてから、紙製の棺に移して、おやつとか牧草とか好きな食べ物を一緒に入れて、お花も入れて。最後にたくさんたくさん撫でてあげて、さようならをした。

 ペット用の小さな火葬場に運ばれて、炉に入れられる棺を見て、涙と嗚咽が止まらなかった。

 あの小さな体が、ふわふわのはなちゃんが、燃やされてしまう、いなくなってしまう、と思ったら、やめて、はなちゃんを返して、焼かないでと泣き叫びたくなる衝動に駆られた。

 炉に火が入って、薄暗い空に煙突から煙が上がっていくのを、ずっと泣きながらみていた。

 今までは合同葬をお願いしていたから、預けてさよならだったので、最後まで見送ったのは初めて。はなちゃんが燃えてしまう。消えてしまう、と思ったら涙が止まらなかった。

 先代の結愛ちゃんを預けたのもここの葬儀社さんだった。共同のお墓に手を合わせて、はなちゃんがそちらにいくからよろしくねとお祈りした。喧嘩しないでね、と。

 1時間くらい呆然として待合室で待っているうちに、火葬が終わった。火葬場に行くと、昔小さかった頃にひいおじいちゃんのお葬式でみたことがあるような、灰と白い骨だけが残っていて。手のひらサイズの小さな骨壷に、家族三人でお箸で拾って骨を入れた。はなちゃんはこんなにも小さく軽くなってしまった。また涙が出た。

 骨壷を包んでもらって、車に乗った。動物病院に行く時はいつも、私が後部座席で花愛ちゃんと並んで座っていた。帰り道、後部座席に座った私の手の中の小さなまだ温かい壷が、はなちゃんだった。

 はなちゃんの壷を家に置いて、福にただいまと挨拶をして、久しぶりに揃った家族でご飯を食べに行った。不思議と、少しだけ心が落ち着いた気がした。

 でもやっぱり、今一人になると、込み上げてくるのは悲しみと後悔ばかり。

 トイレに行っては、好奇心旺盛なあまり私がトイレから出るタイミングでドアの隙間から中に押し入ろうとしてきた小さな頭を思い出す。おかしくていつも笑った。

 自分の部屋にいると、福と一緒に私の部屋にやってきて「入ってもいいかな?」と中を覗き込み、おそるおそる入ってきた姿を思い出す。

 洗面所に行くために立ち上がると、何を期待してか足元についてきた。追いかけてくるのが可愛くて、廊下を何往復もして鬼ごっこした。

 何をしていても、花愛ちゃんの残像がちらつく。だって家中どこでも花愛ちゃんと福くんの遊び場だったから。

 葬儀場から帰ってきて、福くんをケージから出してあげた。いつも花愛ちゃんがいたスペースを順番に回って、花愛ちゃんを探していた。どこにもいないとわかると、かまって欲しいと私のところに来た。いっぱいさわっていっぱい撫でた。

 寂しいね。私も寂しいよ。どうしていいか分からないよ。今晩も一人で泣いている。

 葬儀が終われば気分も晴れるかなと思ったけど、二度と花愛ちゃんに触れることが出来なくなった現実に押しつぶされそうで、余計に苦しくなってしまった。

 とにかく今は、休むしかないんだろうなと思う。台風のせいで予定がぱあになった三連休で、どうにか普通に仕事できるくらいにはなれたらいいな。

追記終わり。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?