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服屋の服屋による服屋のための





「服屋」じゃなくて服屋がしたい。

ただ服を置いていて、

ただ裏から他のサイズを持ってきて、

ただ試着して買ってもらう「服屋」ではなく、

こんな服屋に会ったことがないと思わせられる服屋をしたい。

自分も服屋になりたいと思わせられる服屋をしたい。

そんなある種の夢を与える服屋をしたい。


最近強くそう思う。


世の中には腐った「服屋」が多すぎる。

売ることしか考えてない「服屋」

誠実さを失った「服屋」

変化を求めない「服屋」

一体、なんのためにその道を選んだんですか。

高いものを買わせたいなら服じゃなくてもいい。

ものを売りたいなら服以外のものを売ればいい。

一台ウン千万とする車の販売員になればいい。

時価総額ウン千億の物件を紹介する営業になればいい。

何なら数兆円規模の額を動かす企画職にでもなればいい。

だけど、腐った「服屋」の人間は、

「別に車や家を売りたいわけじゃない。ましてや企画職なんて。」と言う。

じゃあ、何で服を売りたいのか。

じゃあ、何で服じゃないとダメなのか。

そんなことを真剣に考えている「服屋」はいないだろう。

ただ、服が好きだから。

ただ、服に関わりたいから。

「毎日好きな服着て仕事できるとか最高じゃん!

それで、本社行って、服の企画とかデザインとかしたいな!

プレスになって、フォロワー何万人も作って、

バイヤーになって、好きな服だけを仕入れたすごい店作って、

キラキラした人生送りたいんだ!」


本気でそうなりたいと思ってるなら、いいと思う。

そのためにひたむきに努力して、周りの人に誠実に向き合って、

悩みながらもがき続けたその先に憧れを持てばいい。

素晴らしいことじゃないか。


でも、実際はそうじゃない。

日々の業務に追われ、

日々の売り上げノルマに追われ、

人付き合いやクレームに神経をすり減らし、

制服として社販を迫られ、

大して高くもない給料から貯金もできず、

好きだったはずの洋服を買うという行為すら義務として強いられる。

自分は何のためにこの仕事を選んだのか。

数字という結果を求めるためにこの仕事を選んだのか。

人間関係に悩むためにこの仕事を選んだのか。

欲しくもない服を着るためにこの仕事を選んだのか。


そうやって、少しずつ蝕まれていき、

服屋を志した人間が

いつしか「服屋」になっている。

ノルマをクリアするために単価の高い服をオススメし、

ファッションの人間のはずなのに毎日同じような格好をし、

ネットで調べれば転がっているような説明で客を納得させ、

1〜2時間接客した末に買わない客の悪口をストックで言うような、

そんな腐った「服屋」さん。

日々の溜まったストレスを仲間のスタッフにぶつけ、

理不尽な態度に萎縮した若手は辞めていく。

辞めていった若手に向けて言う言葉といえば、

「あいつも根性なかったな。」


そりゃあ、辞めていきますよ。

憧れを持って入った服屋さんが、表と裏で態度を180度変える。

その割には毎日同じ服装で、

ファッションに対する感度や感覚を養おうとしない。

そんな人間を見て誰が服屋になりたいと思うのか。



ここまでつらつら書いてきたけれど、

じゃあ、服屋とは何なのか。

自分が思うところでは、

服屋とはある種の何でも屋さんだと思う。

服屋とは、服の扱いに長けた服の専門家であり、

服屋とは、店や売り場や服を魅力的に映すデザイナーであり、

服屋とは、仕事として利益を求める営業マンであり、

服屋とは、お客さんによって接し方を演じていく役者であり、

服屋とは、お客さんを楽しませ満足させるエンターテイナーであり、

服屋とは、キラキラした夢を与える理想家であり、

服屋とは、そうした全てを作り出すための地道な努力家でないといけない。


大前提として、仕事として服屋をやる以上は利益を求め続ける必要がある。

そのため、もちろん売ることを否定することは決してない。

だが、売ることだけを追求し続け、他の役割を怠ってはいけない。

例えば、掃除。

お客さんは汚い店に入りたいと思わない。
俺たちが来店を待つ側である以上、売り場の状況をマイナスから0にする必要がある。
0にして初めて、お客さんは店に入ってくる。
その状況にして初めて販売員の販売力が発揮される。

by ししょー

この話を耳タコで聞かされてました。

だから、これを意識して、キチンと掃除をする。

埃の被った商品の手入れをし、ショーケースや鏡を磨いて、

ディスプレイや畳みの服をキチンと整頓する。

すなわち、来店の準備。

それも出来ていないくせに、

「今日は客層が悪かった。今日は客足が少なかった。」

自らの準備不足を棚に上げるような「服屋」にはなりたくない。


そうして店や商品の準備をするのと同様に、

流行や服に対する知識ももちろん日々蓄えていく。

だって、服のプロフェッショナルだから。

洗濯や修理、着こなしや色合わせ、歴史やカルチャー、

服が持つ機能性や装飾性など多面的に見ていきたい。


その上で、接客。

千差万別のお客さんが来店される中で、

それぞれが求めている接客を意識したい。

ロープレの練習通りにできるお客さん、

長々した説明はいらないお客さん、

服の専門的な部分を聞きたいお客さん、

オシャレで格好良い人に接客されたいお客さん、

デートのための服装を揃えたいお客さん、

どんな人を対応しようとも、キチンと案内ができるように準備したい。


でも、それだけではただの「服屋」。

この人から買い物がしたい。この人に会いたい。と思ってもらえる服屋になりたい。

そのために、自分らしさを表現すること。

教科書には載っていない、自分の強さを発揮すること。

それは丁寧さかもしれない、新しい発見をさせてあげることかもしれない、

誠実さかもしれない、その人に似合う服が瞬時にわかることかもしれない、

会話の引き出しの多さかもしれない、傾聴力かもしれない。

自分が持つ自分だけの魅力で、お客さんを楽しませることができれば、

きっとご縁が繋がるはず。




4月から仕事として服屋になった後、

ある日、一人の学生の対応をした。

その子は「こんなに話を聞いてくれる販売員の人、初めてです。」と言ってくれた。

「あら、そうですか。よかった。」と思うと同時に、

その後のその子の言葉に情けなさを思えた。

「僕が学生だからか、なんだか雑に対応してくる販売員の人が多い気がするんです。
どうせ、買わないだろうと思われているというか。
だから、僕、この店でもイヤホンをしながら入ってきたんです。
接客されたくなくて。」

同じ服屋としての情けなさ。

自分の売り上げのことしか考えていない、

腐った「服屋」がそんなことをするから、

服が好きでも店に入れないと思う子が増える。

服が好きでも服屋になりたいとは思えない子が増える。

自分はその場で「服屋」の代わりに謝ることしかできなかった。




自分が服屋になりたいと思ったきっかけのお二人。

その一人は、「服屋として大切なことは何か」と問うと、

「誠実さだよ。」と答えてくれた。

もう一人は、ファッションに向き合う柔軟さと面白さを

身をもって実感させてくれた。


この2軸。

人にも仕事にも誠実に向き合うこと。

変化するファッションを柔軟に楽しむこと。

この2軸が自分の服屋としての核。


この2軸を大切にしながら、

そのお二人が自分にしてくれたように、

服屋になりたいと思う人を増やしたい。

服屋も悪くないと思う人を増やしたい。


まだ服屋を初めて1年半。

されど、1年半。

服屋たるものどうあるべきか。

変化に身を任せながら向き合っていきたい。


誠実さと自分らしさは失わず、

自分がやりたいのは服屋なんだと。

決して、「服屋」ではない。


時間はかかるかもしれないけれど、

自分の信じていることは誰かが見てくれていると、

ひたむきに服屋をやっていきたい。


服に関わる全ての人へ、

色んなモヤモヤが募っていくけれども、

今一度、考えてみてほしい。




あなたがなりたいのは、服屋ですか。

それとも「服屋」ですか。


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