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国際左利きの日に寄せて

実は左利きだ。
幼い頃にそれが発覚したとき、両親は右利きに矯正しようとした。わたしが幼い頃はまだユニバーサルデザインの概念があまり広まっていなかったので、そういった風習が残っていたのは仕方のないことだ。
しかし、結局諦めることになる。

わたしがめちゃくちゃ反発したからである。


性格というか、性質上、自分ルールを曲げられるのが酷いストレスだったわたしは、"左で物を持つ"という本能レベルのルールを破られるのが大層嫌だったらしく、それはそれは泣き叫んだそうな。それに加えて、片親が元左利きで矯正される痛みがわかっていたというのもあり、わたしは左利きのまま育った。
わたしから見た世界は、右利きの人から見たそれとは180度とまではいかずともそれに近いくらい違うだろう。色んなところで左利きであることによる壁に当たる。

突然だが、今日は『国際左利きの日』らしい。

そこで今から、数ある左利きエピソードの中で特に面白かったものについて話そうと思う。


某日。選挙に行った。
小さな公民館に行き、あらかじめ届いていた投票券を見せて、奥に通される。投票用紙をもらい、仕切りのついた机に向かう。プラ製の小さなカゴにお尻の方がクリップになっているタイプの鉛筆が入っていたので、それを拝借して政党名やら議員名やらを書いた。そして投票箱に向かおうとしたとき。
視界の右に、プラ製の小さなカゴがあるのに気づいた。
えっ。
よくよく見ると、カゴは左右に1個ずつ置いてあった。それぞれのカゴのこちらの面には、文字の書いてある紙が貼ってある。

左、"使用済み"
右、"消毒済み"

思わず噴き出した。まさかこんなところで左利きの壁に当たるとは思わなんだ。
というか、よくよく考えたら、左側に筆記用具が置いてある状態からおかしかった。これは市役所や郵便局などでもそうだが、普通、筆記用具は右利きに合わせて右に置いてある。ましてや数日しか機能しない投票所で左利きに配慮していることなどあり得ないのだ。
余談だが、使用済み鉛筆を使ってしまったことはあまり気にしてないので、安心して欲しい。ちゃんと小さな机の全体を見なかったわたしが悪かった、ただそれだけだ。


以上がわたしの面白左利きエピソードである。
正直左利きの壁に当たると一瞬怒りが湧いてくることが多いが、これに関しては普段当たり得ない種類のものだったので、無事面白さが勝った。
ユニバーサルデザインの概念が定着してきたことに伴い、左利き用・両利き用製品はここ数十年で爆発的に増えた。しかし、左利きにとって不自由なことはまだまだ沢山ある。
その沢山の不自由なことの中に、たまーにこういう面白いことがあるから、左利きはやめられない。

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