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鎖骨日記 #3 決してサボったわけではない

どうも、すちです。
鎖骨日記、数日あけての三話目です。
(手術に関する描写が含まれています。苦手な方はご注意ください)

タイトルの通り、決して、断じて、サボったわけではございません。

この鎖骨日記を始めるにあたり、日々の記録を毎日残そうと心に決めた。が、しかし、達成できていない。それは事実です。

誤算は、手術後の症状・痛みのレベルを完全に見誤っていたこと。手術はおろか骨折すらも初めてのビギナーだったわたしからすると、手術で身体をきりひらき、身体の内部をいじり回してまた閉じる、という一連の行為が身体にとってどんな負担になるのか全く想像できていなかったのだ。

身体を切り開き、骨をいじるということはそこに至るまでの皮膚や筋肉やなんかよくわからない色々なものが切り刻まれるということ。手術前の自分は、なんかこうメタモン的な感じでピタッとくっついてくれるとでも思っていたようで、術後の痛みも、痛み止めがあればまぁ大丈夫やろ、くらいにしか思っていなかった。手術を受けた後の痛みには耐えるしかないわけで避けられないことなので、覚悟していたようなフリをしていましたが、その想像のレベルが現実に全く則していなかった。手術直前に、"術後に売店空いてたらアイス買って食べていいですか?"と本気で聞こうとしていたことを思い出し、失笑。本当に聞かなくてよかった。

イメージ的には鎖骨を骨折した当日くらいの痛みだろうとたかを括っていた。とはいえあの時の痛みも相当なものだったし、ヒーヒー言っていたと思う。ただ、しばらくすると痛み止めを飲んでいなくても痛みは引いてきて気持ちもだいぶ解放されたように思う。

ところが、現実はこれを遥かに超えるツラさ。例えるならば、鎖骨を骨折して悶絶している患部に対し、ありとあらゆる角度から殴る蹴るの暴行を加えられ続けているような、そんな感覚。全身麻酔から覚めた直後からそんな地獄の時間が始まったのだった。そして夜明けまで永遠と続くその痛みは衰えることを知らず、生きる気力を削ぎ落とすには十分だった。
ナースコールを連打しまくり、痛み止めの投与を要求するも、規定の時間が経つまでは次の痛み止めを投与してもらうことはできない。麻酔から目覚めて強烈な痛みを認識してから約1時間、無限とも感じる時間を過ごす。自分で自分に爪を立て引っ掻き回し、指を食いちぎらんとばかりに自分の指をかじりちらし、自分の体の別の部位を痛め続けることでその時間を乗り越えた。看護師さんがあと何分だよ、と伝えてくれる数字に毎度絶望しながら一分一秒を耐え凌ぎ、なんとか痛み止めの注射を打ってもらえた。相当に痛い注射と脅されていたものの、そこまでに耐えた痛みからすると蚊に刺されたくらいの感覚で、ようやくこれで解放される…と安堵。ところが、この痛み止め、全く効果を感じられなかった。

痛みを取り払ってくれる救いの神が1時間後に到着します。そこまで我慢すればこの痛みから解き放たれます!と約束されていたはずなのに、その神は痛みを取り払ってくれなかった。もう絶望でしかない。なんせ、次に痛み止めを投与できるのは少なくとも6時間後と伝えられたのだから。

その後ナースコールをどれだけ押しても意味はなく、ひたすら自分の身体を痛め続けることで時間を消費するしかなかった。悶え苦しみ、声にならない声で痛みを訴え続け、身体中に取り付けられた線を気にしながら楽な姿勢を模索する。そんなことを繰り返してただただ時間が過ぎるのを待った。この状況下の6時間は、まさに精神と時の部屋で時間を過ごし、数年間にわたって痛みに耐える修行を行っているかのようだった。

夜が白んできたような気がして、次の痛み止めに淡い期待を寄せながら時間を聞くと、まだ一時。この時は完全に心が折れて、もうどうでも良くなっていた。気絶できればとか、麻薬でも打ってくれればとか、睡眠薬を投与してくれればとか、痛みから逃れられるなら何でも良いから何とかしてくれ!状態。薬物依存症の人の症状がおそらくこれに近いんだろうと今になって思う。救いの神を薬にしか求められない状況。あの時の私はまさに薬物依存症の患者だった。

そんな状況になっている患者を目の前に何もできず、ひたすら耐えるしかない看護師さんもそれはそれは辛かったと思う。大人しく痛みを我慢し続けられればまだマシだったのだろうが、気にして様子を見にきてくれる度に声をかけ、痛み止めを打診したり、時間を確認したり、と助けを求め続けたせいで余計に精神的な負荷が大きかっただろう。申し訳なく思うと同時に、そんな中でもできる最善の対応をし続け、一晩中真摯に看病してくださった看護師さんには感謝しかない。本当にありがとうございました。

本当に大変な仕事が多い看護師さんだが、その献身的なケアのおかげで日々を頑張って過ごせている患者が数多く存在する。医療面・精神面の両面で支えてくれる看護師さんの偉大さを痛感すると共に、看護師不足の世の中に対し、何かできることはないのだろうか、と考えさせられる入院生活となった。

身体を痛め、弱き立場を経験する事でしか相手の気持ちを真に察することのできない自分の想像力の乏しさに寂しさを感じてしまうが、今回せっかく感じられたこの気持ちを何かに生かしていきたいと思う。

では、また明日!

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