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高校演劇の審査員

2013年の文章

 出場校と事務局と審査員を現役でやっているというけっこうめずらしい立場だ。大会と審査員について書く。
 思うに肝心なのは、審査員にだれを選ぶかであるが、もっと大事なことがある。それは審査員を選んで呼んでくる係を選ぶことだ。呼んじゃいけない審査員を呼んじゃう人を係に据えちゃダメだ。ここはゆずってはいけない。
審査はまあしょうがない。だれもが気に入る結果などはない。それより講評だ。講評ができない、言葉が粗い人は一回呼べば分かるから、リストから外さなくちゃいけない。厳しいのと粗いのを一緒にしてはいけない。あとは妙な自意識を持っている人早く外そう。曰くおれは変わっている、ユニークだ、誰も言わないほんとのことを誰がなんと言おうとおれが言ってやらなくてはならない。こういう人ははた迷惑以外の何者でもない。
 審査員というともう何というかやたらいたれりつくせりで、講評は一生懸命聞くし、気をつけ礼よろしくお願いしますなどというへんてこりんな風習は生まれるし。以前のツイート。「すきなことをしゃべっていい、みんな真剣に聞く、一喜一憂する、こういう立場(審査員のこと)にいてその権力を無意識にふるってしまおうとしているのではないか自分は、という想像がはたらなかない人に、困った人が多いね。」
 なぜわざわざ困った人を呼ぶのか。それは審査員を呼ぶ人が分かっていないから。ダメだよ、いくら正しいと思ってもなんでも言っていいと思わせちゃ。だいたい頭の悪い人に限ってなんか毒づけばおれはホントのこと言ってると勘違いするのだ。おれも「非人間的で恐ろしい」と言われたことがあるが、あまり腹は立たない。あいつ頭悪いから。
 そうは言ってもじゃどうすればいいか、というと、公平でフットワークがよく、労を惜しまずネットワークを広げることができる人を審査員係に推挙すること。顧問の中にシアターゴーアーがいればその人にも聞いた方がいいね。自分の呼びやすい人、長老の紹介する人、そういう人しか呼んでこない係はご遠慮願おう。先生もこの係長いですから、若手にも勉強させてもらいたい。ついては後見としてアドバイスを、とか言ってあとはどうでもなる。
審査員には、なにより高校演劇に敬意を払ってくれる人。よく勉強している若手を呼ぼう。もっと高校演劇をおもしろくしようよ。

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