見出し画像

最低限の女言葉・男言葉は必要悪

「母親がなぜ女言葉? この映画の日本語字幕をつけた人、馬鹿すぎる」
という書き込みを目にした。

「子宮要らない」とプロフィールに書いている学生ということで、多数派に属する方ではないと思うが、女言葉を受け入れられない人々というのが若年層を中心に増えているそうだ。今の50代60代だと「~なのね」とか「~よ」とかを使う女性は多いと思うが(「~だわ」は少ないと思うが)、40代以下だと少なくなると思う。若年層(10代20代ぐらい)は親も40代以下だろうから、女言葉をほとんど使わない世界で生きている。だから母親役であれ、女言葉が気持ち悪く感じるのだろう。

そこは字幕派としては今後注意していくべき点なのかもしれない。

ところで、翻訳家の越前敏弥氏が朝日新聞の「~のよ、~だぜ…人気翻訳者が女言葉・男言葉を「必要悪」と言う理由」という記事で私見を述べていた。
以下、要点を書き留めたい。

・女言葉や男言葉は最小限に

・ただし、ある種の必要悪。文字の媒体は映像の媒体と違って、顔は見えないし声は聞こえないのでメリハリをつけざるを得ない

・こうした表現をまったくやめたら、読者は誰が話しているかわからなかったり、生きたセリフをしゃべっているように感じられなかったりする(棒読みだけが無機的に続いていく、実験的な前衛演劇を見ているような)

・文章にくっきりと陰影をつけていきたい、イメージが湧きづらい部分を(翻訳で)補っていかないといけない

・翻訳の仕事を始めた当初、1999年ですが、当時は『だわ』や『だよ』を今よりも使っていた

・『ダ・ヴィンチ・コード』の次のダン・ブラウン作品の翻訳ではかなり減らし、その後も積極的に減らした。社会の流れもあるが、『だわ』や『さ』で終わる文を読むのが、だんだん自分の中でうっとうしくなってきたから。

・こうした言葉なしでも、工夫次第で、だれが話しているかをわかるように翻訳できる。全体の言葉遣いから『におわせる』

・原文からぎりぎり離れない程度に、地の文のなかにヒントをまぎれこませる場合もある

・英語の文章には日本語の女言葉、男言葉に相当するようなものは少ない

・英語の場合、セリフの中に『she said(彼女は言った)』や『he said(彼は言った)』が入るが、日本語で同じことをやったらうるさい。不自然さや読みづらさを避けるために最小限の調整

・翻訳学校で訳文に『わ』や『さ』を平気で使う人は非常に多い。女性はこう話す、男性はこう話す、と刷り込まれている。現代ものの場合、ほとんど削る。ジェンダーの問題もあるが、それ以前に、とても人間がしゃべっているように思えない。

・半世紀ほど前の日本のドキュメンタリー映像を見ると、実際にこうした語尾で話す人たちが出てくる。クラシックものの翻訳では、女言葉や男言葉を、現代ものの場合よりちょっと多めに入れる。

・書き手が日本語を知っていたら、どういうふうに書いただろうか考える。

・日本語の論理の中で考えるとともに、英語そのもの、英語の論理とか生理とか、そういったものを同時に残していく。両方を含んでどこかのところで折り合いをつける。

・今後、性的少数者など多様な性自認への理解が進むと、翻訳の世界も変わる。英語でも典型的なものとして、三人称の単数形を(sheでもheでもなく)theyで表す作品が出始めている。そういう英語が出てきたときに、自分でも訳を考えないと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?