ITコンサルの育休日記23日目 育休を取得に至るまで(1)

週末になり、過去に何度か通っている保育園の開放イベントに参加してきた。珍しく同じ月齢の赤ちゃんが2人参加されており、ウチの子との比較の話になった。
息子は帝王切開の出産でリスクのある出産だったので本来の予定日よりずいぶん前に生まれた。もちろん立ち会うこともできなかった。出産したときの体重は2100g。初対面したときは本当に小さくて、泣き声も小さくて不安になるような姿だったことを覚えている。リスクがあるというのは「前置胎盤」という胎盤が下がってしまって出産するときの道をブロックしてしまった状態だった。帝王切開で胎盤を切断して赤ちゃんを取り出す必要があった。大量の出血が予想されるため、あらかじめ貯血をしていたのだが、全然足りず輸血をしてなんとか母体も安全に出産することができた。何人もの医師や看護婦がかかわってくれて難易度の高い手術であったと思う。面白いと思ったのは、手術中に少しでもリラックスできるようにあらかじめ用意したCDを持ち込めばBGMとしてかけてくれるというところ。妻はクイーンのCDを選択しボヘミアンラプソディを聞きながら出産したそうだ。
本来の予定日は2週間ほど先だったので、未熟児の定義に入るギリギリのところで、出産後もICUなどに入ることもなく普通に過ごすことができた。
よってほかの月齢の子と比較するとかなり小さい。特に気になることではないのだが、無事誕生してくれてありがとうという気持ちでいっぱいだった。このころは自分が育休を取得することも具体的には考えられていなかったが、入院中から育児の大変さを思い知らされる。母体が安定するまでということで結局退院まで2週間程度かかった。その間私は出産した日と退院の日の2日間しか有給をとらなかった。この姿勢から妻から本気でこの人は育児に向き合う気があるのだろうかと疑念を抱かれていることを感じていた。このころは自分も仕事で結果を出さなければならないプレッシャーを感じていた時期だったので、育児で早退するとかミーティングの準備ができない、などとはとても言い出せない雰囲気だった。
しかもその頃、住んでいた自宅マンションが1LDKと狭かったので引っ越しを考えていたところ同じマンションで別の部屋が空いたので、同じマンション内で引っ越しをすることになったのだ。同じマンション内とはいえ、引っ越し業者の手配やモノの整理などに時間を使うことになった。しばらくは妻の実家で世話になることにしていたが、ずっとそのままでいるわけにはいかなかったので、広めの部屋に引っ越せたのは大きかった。
妻が退院し妻の実家でお世話になり始めたころ、育休取得を検討し始めることになる。(続)

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