雑記3

 生活の方が切羽詰まってきており、何かを犠牲にしなくてはならない時期に差し掛かっていると思う。日常の問題に対してすべきことは過度に嘆いたり自傷に走ったりすることではなく、理性的な対処を続けることだ、そう前に書いたが、多忙とは悲惨であり、忌むべきものだという主張と両立しないわけではない。

 一種の災厄である多忙への対処として有効なのは、実は時間の割り当てをむやみに拡大したりすることではなく、むしろ削ったり配置し直したりして予定を整えることではないだろうか。夜更かしを避けるとか、時間配分を正確にするとか、そうした生活の再成型とも呼ぶべき作業を頭の中で行っている。しかし頭の中で行われていることは、行動に移さなければ最初からなかったも同然なのだし、予定表との睨めっこという甚だ凡庸な習慣に落ち着くべきなのだろう。こうした平々凡々とした営みが何よりも尊く、そして全てであることを最近ようやく悟れた気がする。

 絶え間ない不安と理性的行動の中、少しの沈黙はふとした瞬間に訪れる。日々の指針を失いそうになれば、急いで自己に立ち返ること。幸い立ち返るだけの自己には恵まれていて、これは周囲の人の御蔭だと本気で思っている。彼らが齎した音楽や本に今更のように救われている。ラヴェルの織り成した解像度の高い印象的風景が、疲弊した精神に働きかける。当然、睡眠前の数十分が誰にも邪魔されない聖域だからこそ、我々はしっかりこれを管理しなくてはならない。夜更かしを避けるため。時間配分を正確にするため。

 都会人の顔色が青白いのが事実だとして、その病の原因に真剣に向き合ってみるべきだが、私にとって病の原因は、真剣に向き合うことそのものだった。

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