正しいことは必ずしもいいことじゃない

これは、私が自己認識の整理のために綴る怪文書であると同時に、数年前、定期始めたてのヒヨコちゃんだった頃に「出題」された問題に対する、自分なりの解答である。

怪文書というとあまり正しくないが、要するに自供、ポエム、エッセイの類いなので、文体も私が書いた他の記事とは随分違う。人に聞かせるのではなく、自分で吐き出すための文章なので、他の記事より自然体だ。

そこそこ真面目な話、かつネガティブな話なので、そういうのが苦手な人は別の人の記事を見に行くといい。定期アドカレでは毎日新鮮な記事が堪能できる。途中から知った人であればそれはもうよりどりみどりだ。きっとあなたが読んで面白い記事も見つかるはず。

ああ、言い忘れていた。この記事は定期ゲ・丙 Advent Calendar 2021の22日目の記事です。


きっかけ

いわゆる話の前提、というやつだ。論旨にはあんまり関係がないので適当に読み飛ばしても構わない。

事の起こり

いろいろなところで言っているので伏せる意味もないが、私は「言の葉の樹の下で(以下コトシタ)」で定期デビューを果たした。白黒笹乃、パンダフード、白髪黄色目の女の子のデフォルメアイコン。見覚えがある人もいるだろう。

最初の方はそこそこに色んな人と話して、楽しく交流をしていた。もともとキャラクター系創作畑の出身だったので、いわゆるなりきりチャットというものは肌に合った。なので、「うちのこ」という概念にも馴染みがあり、当たり前のようにコトシタにも「うちのこ」を投入した。たくさんキャラを作るタイプだったので、メインとなる笹乃の周辺人物を思いつく限りサブとして出した。複数人を動かすこと自体は苦ではなかったが、どのキャラがどういう交友関係を持っているのかの把握は大変だった。いかにキャラがいようとも私の脳みそは1つだけだ。なので、誰に言われずとも交流記録をつけた。なんならまだ非公式キャラWikiに残っているはずだ。そんなめんどっちいことを真面目にやるぐらいには楽しかった。

問題が起きたのは、始めてから半年ほど経ったとき、忘れもしない11月。それまで仲が良かったと思っていた人に、私の視点では唐突に、怒られた。当時はそれはもうわけがわからなくて、リアルで泣いて、理由を訊いてもやっぱりわからなくて、Twitterで喚いて、相手をブロックして、見かねて相談に乗ってくれたフォロワーに縋った。このときの「初期治療」はそこそこの成果があって、多分私にも悪いところはあって、不条理に怒られたわけではない……というところは理解できた。でも具体的にどう悪かったのかはさっぱりで、自分の視点で見えたことを別のフォロワーに相談して、「コレって悪くないよね……?」と言っていた。その段階で明確に否定されなかったので、じゃあ相手も多分悪いんだ。となって、ひとまず反省文を書いて初期治療は終了した。でも、やっぱり全部がわかったわけではなくて。怖くなってチャットから距離を置いた。コトシタはそのまま終了した。

「怒られた理由がわからない」というのは、コミュニケーションにおいて恐怖感をもたらす。だって何をしたら怒られるのか全然わからない。萎縮するのは当たり前だ。怒られるのは怖いのだから。だから、私はなんとしてもその「理由」を知る必要があった。これが「出題」となった。

展開

それからしばらくして。別の定期にも参加してみたけど、リアルが忙しくなってきたのもあって交流にはそんなに身が入らず。時は流れて約1年。某氏主催で、「RPGツクールを使って各々の持ちキャラが戦うゲームを作ろう」という会が発足した。面白そうだったし、某氏とはちょっとだけ関わりがあったので手を上げてみた。企画について詳しくは語らないが、その某氏がコトシタで有名になったこともあってコトシタのキャラを持ち寄る人が多かった。ので、私も笹乃を投入した。笹乃は上述の問題には実はあまり関わっておらず、問題を起こしたのはどちらかというとサブの挙動だったので、サブの連中はひとまず全員下げておいた。発足時は非常に熱のある企画で、本題のゲーム制作もさることながら、その他の雑談も活発だった。

その中で。やはり定期民が多く、PLがPLとして集まる場であったためだろう。「定期におけるマナー」の話が何度か持ち上がった。その手の指南書というのは、同じくキャラを持ち寄ってチャット交流をする企画であるPBC(プレイ・バイ・チャット。詳しくはググってほしい)界隈なんかには標準的に搭載されているらしいけど、定期にはない。大抵のマナーは暗黙のうちに守られている。こうした「暗黙」を形成するのがどうやらこういう場らしかった。何度も怒られた、しかもその理由がちゃんとわかっていない身である以上真剣に聞いた。すると、いくつか自分がしたロールで思い当たることがあった。なるほど、そういうことだったか。一歩前進した気がした。ここで得た成果は、昨年書いた記事に全部ぶっちゃけている。あれも、アンサーの1つだ。今となってはそう言えるが、あれを書いた当時は「これで解決したぞ」と思っていた。しかし、そうではなかった。解答は不完全だった。それに気づいたのは、ついこの間のことだった。

最後のピース

さらに時は流れて先日、2021年11月。ちょうど現在絶賛開催中の「Secret Sphere(以下ひみたま)」が登録開始と相成った直後であり、ひみたまの非公式雑談discordサーバー「丸い本と硝子の靴(以下まるくつ)」がとても賑わっているところだった。「出題」から数年が経ち、去年アンサーをまとめたこともあって、リアル多忙にも負けず定期のチャットをわりと頑張っていた。定期界隈で知り合った人で定期以外のやり取りをする人もちらほらとできるようになった。そんな折、ある人が「ひみたまでユーザーイベントやります」と言って、まるくつ内にスレッド(最近discordに実装された、チャンネルから一時的な話題を分離して集積する機能)を立ち上げた。いわゆるレイド戦型のイベントで、討伐が終わったらBBQと素材配布会がついてくる。しかし、最初は「なんかでかいのを倒したのでBBQする」ぐらいしか決まっていなかったので、討伐対象に関する設定を皆で考えることになった。私は設定を考えるのが好きなので、張り切って色々とアイデアを出した。でもなんだか雲行きが怪しい……そう思っていると、後ろから肩を叩かれた。DMが飛んできたのだ。ざっくり言えば、「君の言い方はあんまりよろしくないのでちょっと落ち着いた方がいい」という内容だ。その人といくつかやり取りをして、私は一つ鍵を得た。否、元々持っていた鍵が、このやり取りとその後の思索で進化した。進化した鍵を手の上で転がして、私は答えへの扉を開けた。扉の先にあった答えを書き留めて、持ち帰ってもう一度考えて。そして今この文章を書いている。

何を言っているのかわからないかもしれないが、具体的なところをいくらかぼかしているのでまともに書くよりもポエム度が上がっている。まあ、要するに、よくわからなくても問題はないということだ。紆余曲折を経て私は答えを手に入れた。それだけのことだ。

本題

私の何がいけなかったのか

「出題」のとき提示された問題文の一つに、ずっと印象に残っている文言があった。相手が「マウントを取られた」と話していたことだ。もちろん、こうして悩んでいる以上自覚的にそうしていたわけではない。この「マウント」問題について、一面の答えは去年の記事にも書いていた(正直に言うと、さっき見返して「あ、書いてたわ」となった)。去年の記事の該当箇所を引用する。

 また、知識人系のキャラの場合、特にこれ(注: 性格を悪くしないこと)は意識した方がいいと個人的に思います。なぜなら、性格が悪いと相手のミスを酷評するのに躊躇いがなくなるからです(たぶん2敗)。価値観や知識といったものにはPL自身の頭脳や知識が大きく反映されます。調べものをすることで外付けHDDのように容量の拡張を行うこともできますが、完璧な知識を持っている、ないし調べあげて使えるPLは存在しません。なので、相手の展開した論理に穴がある、ということはざらに起きます。そこで、あなたがたまたまその穴に気づき、PCにも気づける頭脳があるだろうと判断したとき、性格が悪いと「これ、指摘するだろうな……」としか思えない。という状況に陥ったりするんですね。ここで性格が良ければ「まあそういうミスをすることもあるよね、と考えて流せるな」という風に思考を切り替えられるのですが、悪いとなかなかそうもいきません(もちろん性格が悪いキャラが突然謎のお人好し力を発揮するのに耐えられるなら問題ないのですが!)。これ、何でだめなのかと言うと、先も言ったようにそういった場合、大抵PLが素でミスをしてるんですよね。相手も知識人系だったりするとなおさら。そこで間違いを取り上げて煽ったりすると、PCを貫通してPLにダメージが行きます。めっちゃ落ち込まれることもあれば、「知識マウントだ!」という反応をされることも。まあどう転んでも心証は悪いです。というわけで、相手のミスを自然に見逃してあげられる性格設定は重要。以上個人的な体験に基づく見解でした。

長ったらしいが、要するに「知識量で人を殴るな」ということだ。……ということなのだが。今読み返してみるとどうにもイラッとくる文章だ。特に最後の方にある「相手のミスを自然に見逃してあげられる性格設定は重要」という文言。お前は何様だと言いたい。ではそれはなぜそう思うのか。

どうも上から目線なのだ。口調は丁寧だが、「教えてあげます」という魂胆が透けて見える。「あなたは私よりも物を知らないでしょう?」という副音声が聞こえてくるようだ。実際のところ、私は知識量は人よりもあると自負している。それに目的が教導・警鐘の記事なのだから「相手が知らないであろうことを書く」のは間違っていない。だが、教師役が偉ぶってはならないのだ。もちろん、やはり書いた当時は偉ぶっているつもりは毛頭なかった。だが、「そう見える」のだ。これが問題だ。

どうしてそうなってしまったのか。

それは多分、「相手を『正しい』方向に誘導しようとしている」からだ。

思えば「マウントを取られた」と言われた当時もそうだった。相手に設定を披露してもらっておきながら、重箱の隅をつつくような質問を繰り返したのは、「それが正しくないから」だった。一生懸命考えた渾身の設定を「それは妥当じゃない」と一蹴されたら苛立つに決まっている。

正確には、「正しいことは必ずしもいいことじゃない」ということ自体は、自分の中に概念として存在していた。それは去年の記事にそのような旨があることからも分かる。しかし、私の中のそれはまだ「表現の自由」のみに向けられていた。

それが意図せずに暴発したのが先日のことだった。私は妥当性のある設定が好きだ。だから、妥当性のある設定を好きで作って好きに投げた。「そうじゃない」と言われた。私は「もしかして押し付けていると思われたか」と思って「使われなくても全然気にしないから」と言った。そして続けて言った。「こんなに作り込むなんてしんどいでしょうし」。

……………………。

「君の言い方はあんまりよろしくない」と言われたのは、この言葉だ(正確にはもうちょっと違う言い方だったが、要旨はおおむねこうだ)。

正しいことは必ずしもいいことじゃない。

これは、「正しくあろうとすること」「正しくあれと願うこと」も含まれている。

普通、人間は学校で「正しくありなさい」と習う。だから、まともな人間は「正しいことはいいことだ」と思っている。そして、それはもちろん、1つ正しいことである。正しいことを美徳としない世界はたちまちに荒むことだろう。だから学校でも「正しいことはいいことだ」と習う。

でも、そこには例外がある。

それはフィクションだ。想像の世界だ。もちろん、鑑賞や活動に当たって必要な「正しいこと」は存在する。いわゆるマナーだ。しかし、それは現実の話だ。フィクションではない。

フィクションは自由だ。何をしたっていい。人を殺しても犯しても想像上なのだから被害に遭う人はいない。口に出さなければ聞いて不快になる人もいない。フィクションは「正しくなくても構わない」。道徳的・人道的にももちろんそうだが、しかし。それは描写や設定のリアリティにまで及ぶ。

「小説家になろう」という有名なアマチュア小説投稿サイトがある。異世界転生ものが人気だ。最近の流行りは知らないが、少なくともそれが流行りだった時期は存在する。ここで主人公が転生する異世界というのは、ご都合主義の世界だ。中世ヨーロッパ風の場所が舞台だと銘打ちながらも衛生問題も疫病問題もない。王侯貴族が絶大な権威を持ち教会は死んだら蘇生してもらえる場所。そこに生息するモンスターはどういう生態でなぜ人を襲うのかよくわからない。主人公は転生するや否や神やそれに類するものからチート能力を受け取って無双、誰からもちやほやされてヒロインたちは恋の行方をかけて火花を散らす。これは、全然「正しくない」。中世都市でちゃんとした水道が整備されていることはまれだ。正確には、水道自体はある。しかしそれは川の水を引いているだけでろ過などの浄水は行われておらず、その上廃棄物は同じ川に捨てられていた。そのまま飲んだら腹を壊すものだから酒が水の代わりだったなんていうのは有名な話だ。投げっぱなしのごみにはネズミがわいて疫病を媒介した。ペストの大流行などは誰しも聞いたことがあろう。また、中世ヨーロッパでは王侯貴族の権力は弱く、代わりにキリスト教、ローマ教皇が随一の権力者であった。まさに教皇の権威が絶頂であったときの教皇、インノケンティウス3世は「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉を残している。自ら光輝く太陽とその光を受けることでしか輝けない月になぞらえ、「皇帝の権力というものは自分が授けてやっているのだ」と権威を誇示する言葉だ。本物の中世にはもちろん魔法もモンスターもいない。チート能力を授けてくれる神だっていない。中世における神はイエス・キリストならびにその父、それから聖霊の三位一体をなす唯一神のみで、それ以外の信仰は当然迫害、だけでなく、キリスト教会内でも解釈の違いでもめたりしていた。転生しただけでヒロインからモテモテになることだってもちろんない。異性の興味が引けないのは環境の問題ではなく自分の問題で、しかも往々にして行動や態度の問題だ。それは「強くてニューゲーム」でも変わらない。容姿も人格も変わるならそれはもう別人に相違ない。

でも、別に中世のそんなところまで再現しなくていいし、現実のように冴えない男に厳しくなくていいのだ。創作の世界はユートピアだ。つまらない現実、つらい現実を思い出すような要素はいらない。もちろん全ての創作がそうではない。社会問題に警鐘を鳴らす、読者に自分を省みるきっかけを与える、そんな作品もある。でも、やはりそれも、そんな創作ばかりじゃなくていい。都合のいい幻想に浸って一時現実を忘れ、またそれに向き合うための精神力を回復させる。そんな創作があってもいいし、むしろ多くの人に好まれるのはこの手のものだろう。

自分が思う最強設定を詰め込んだ最高かっこいいキャラクターが作りたい? 大いに結構。

自分だけを見てくれる最高かわいいヒロインが欲しい? もちろん構わない。

人に迷惑さえかけなければ、創作では何をしても自由だ。楽しければそれでいい。

だから、それに水を差してはいけない。

楽しい話(注: これはPLが楽しい話、なので、キャラがつらい目に遭っていてかわいい等も含む)で楽しそうに盛り上がっているところに、それは妥当じゃないとかキャラがかわいそうだとかおもんないから別の話題しようぜとか、言ってはダメなのだ。

気づいてしまえば至極当たり前のことだ。でも重要なのは、例えその発言が「独り言」でも、場を冷ますのには十分だということだ。

「好きでやってるだけだから」とか、「そっちに向かって言ったつもりじゃないんだけど」とか、そんなことは関係がない。相手の目に入れば、意識に上れば、それは相手に影響をもたらす。

だから私の言動は「マウント」ととられても仕方のないことだったのだ。

どうすればいいのか

結論から言おう。まだわからない。

というのも、私は他者の言動をそう観察する方ではなく、交遊関係も狭いので、「どこまで言ってよくて、どこからがダメだと平均的に見なされるのか」がまずわからない。それがわかったとして、集団は個人で構成されるので、多くの人がいる場所においてはもっと敏感な人だっているだろうし、集団の成員が少なければ閾値が高くなることもあるだろう。となれば次は集団の性質を見極めてレベルを調節する必要がある。TPOというやつだ。

もちろん短絡的な解決方法は黙ることだ。なにも言わなければ発言で人を不快にすることはない。がしかし、ずっとだんまりでいるわけにもいかない。人としゃべるゲームで人と話さないのは本末転倒だ。

それにどうやら、私は理屈話から逃げられないらしい。いや、逃げられないというと不適切だ。私は理屈話が好きなのだ。フィクションの世界であろうとそれを統べる世界法則に想いを馳せ、考察という体で詳細を書き綴るのが。しかし、だめだ。ちゃんとこの性癖を把握しておいて、手綱を握って、知識量と理屈で人を殴ることがないようにしなければならない。

そこで私は現在、一つ試していることがある。それは、理屈話を目につくところから隔離することだ。ひみたまの自PC常駐コミュとして、「どこかの屋根裏部屋」というコミュニティを作った。ここに引きこもって理屈話はこの内部に留め、別の場所では理屈話を控える。気軽に会いに来られる、といったタイプの常駐コミュではないが、いわゆるソロール隔離部屋という用途であれば他にも似たようなコミュニティの使い方をしている人はいるだろう。これで現状はなんとかなっている……ような気がする。実際うまく行くのかは試遊会を走りきらないとわからない。結局わからないのだ。でもまあ、今は仕方がないと思う。わからないものが即座にわかるようにはならない。

終わりに

多分、私はこれからも何度も転ぶ。思えば学生時代からずっと、波長の合う人とばかり話していた。そんなだから、波長がずれている人に合わせる方法がわからないのだ。なので、トライアンドエラーを繰り返すことでしか、私は「次の答え」へはたどり着けないだろう。でも、自分で「これは自分の問題点だ」と思った以上、それをなんとかして解決しようと動くことは、きっとおかしなことではないはずだ。

いつか胸を張ってまだ見ぬあなたとロールができるように、私は走り続ける。

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