「人形の家」から「失恋ショコラティエ」まで、幸せな結婚をするためには?

最近、「失恋ショコラティエ」を読んでいる。

微ネタバレで申し訳ないのだけど、ヒロインは既に結婚していて、この旦那というのがモラハラ・パワハラ夫なのである。

物語の内容に関しては色々あるけれど、今回書きたいのは「女性のモノ化」ということである。

古くはイプセンの「人形の家」にもあるようにパートナーである女性が全部自分の支配下、コントローラブルな状態でいてほしいと願う男性はいつの世にもいる。

その願望根源は二つあると思っている。

・女性の不貞への恐れ

・女性が自身よりも社会的に高い評価を得ることへの恐れ

これって、男が(男性的)自信も高い社会的地位も兼ね備えたスーパーマンであれば一応解決するはずの話だけど、勿論そんなことは現実には滅多にあるはずもなく。

だから、彼女にしたい女性の条件は千差万別あれど、結婚したい女性となると以外と狭く、似たり寄ったりになるものだと思う。(浮気しなそう、家庭的etc)

そして、女性も結局結婚するために勢い、その「像」に合わせることになると思う。過激な言い方だけどそれが「女性のモノ化」だと思う。

かたや、今の世の中は共働きが時代の流れである。

よく、「ブラック企業がいやだと言いつつも働き続ける奴がいるからブラック企業がなくならない」という。

結婚観に関しても同じで、

「旦那の稼ぎで食ってこう、自己実現よさらば、って女性がいるから女性をモノとしてしか見ない男がいなくならない」

ということではないか。

そして、もし見てくれや甲斐性が今ひとつでも、パートナー自身が考える幸せをちゃんと自分のこととして喜んでくれる男こそが亭主にすべき男なのだと思う。

今回はだいぶ極論も多めになってしまったが、究極的には個人の幸せは人それぞれで本人が良ければ良いと思うが、ただ、お互いのためにもアンマッチは減ったほうが良いとは思っている。